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【村上春樹】村上春樹の「功罪」を考えてみたら…?

村上春樹以前と
村上春樹以後では、
文学世界は本当に変わりました。

もともとは難解さが売りでもあった
日本の現代小説でしたが、
村上春樹のブレイク、
おそらくデビュー3作め
『羊をめぐる冒険』(1982)辺りから
難解さから自由になりました。

もちろん、春樹以前から
楽しく読める口当たりがいい
小説が徐々にありました。
糸井重里
『さよならペンギン』
(1976)
庄司薫さん
『赤ずきんちゃん気をつけて』
(1969)
柴田翔
『されどわれらが日々ー』
(1969)
村上龍
『限りなく透明に近いブルー』
(1976)
田中康夫
『なんとなくクリスタル』
(1980)
高橋源一郎
『さよなら、ギャングたち』
(1981)
など、じわじわと、
滑稽な自分や周囲をユーモラスに
描く小説がポツポツ生まれて
いましたが、まだ周りは
硬い文学がしっかり存在し、
難解ではない作品はあくまで、
カウンターカルチャー、
サブカルチャーという存在感でした。

でも、80年代、村上春樹が
ヒットを連発するようになり、
1987年には
吉本ばななが『キッチン』で
大ブレイクした辺りで、
文学は明らかに、
ポップなトーン、ポップな人気で
迎えられるようになりました。

この当時だって、まだまだ
硬い文学も屹立してたんですよ。
大江健三郎や中上健次、遠藤周作、
堀田善衛、日野敬三、吉本隆明…。

そんな硬派な教養文学が、
新しいウェーブに動揺しつつ、
純文学と大衆文学の違いは何か?
かなり激しく議論されてました。
もう今はそんな議論自体が、
意味をなさなくなりましたが。

さあ、村上春樹以後で、
短所はあるかしら?
正直、あまり見つからないですね。
海外にも日本文学が広く
読まれるようになったし、
文学青年は頭が良くないと
おかしいみたいな偏見も
なくなりましたね。

唯一、短所があるとしたら、
村上春樹の初期文学の特徴である
一人称語りのスタイルがあまりに
広がり過ぎたことでしょうか。
一人称語りは、
客観視や俯瞰視をする精神とは
無縁で、甘くなります。
ひいては、世界全体を捉える視野が
小さく矮小化してしまう
現状の土台を用意してしまった
ことでしょうか。

当の村上春樹は、
初期三部作から『ノルウェイの森』
『ダンスダンスダンス』までは
一人称語りでしたが、
そこからは徐々に三人称語りや
パラレル方式を使って、
一人称語りに埋没しないよう、
大きな世界を相手に、
取り組んでいくようになりました。

村上春樹以前と以後の
有り様について、
その功罪はこんな所でしょうか?










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