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小説は小さいけど、偉大?
「小説」という言葉はちょっと自虐的ですね。
「小さい説」(笑)。前から気になってました。
明治時代の翻訳家は
文学作品を、政治や思想より
「小さな説」だと過小評価して
文学書を「小説」と翻訳したそう。
明治の血気盛んな青年は
自由民権思想や国会創立運動など、
政治を一番に考えていましたから。
政治・思想→立派で大切な説→大きい説。
文学→卑近な日常の描写→小さい説。
今では、大きい説は政治ではなく、
人生のマナーや人間関係のポイント、
また、仕事の極意などに変わりました。
すぐに役に立ち、お金儲けになり
地位向上に直結し、
人間関係の悩みを解消してくれる。
どれも実用的です。
反対に、小説は、すぐ役には立たない。
お金儲けにはならない。
地位の向上にも直結しない。
では、小説が私たちにくれるのは
何でしょうか?
人によって違うでしょうけど、
小説作品は、人生や人間の「謎」や「問題」を
いくつも、色々な角度から
味あわせてくれる事でしょうか。
それは、意味がないようで
でもないとおかしい「余白」かもしれない。
世界が全部、必要で実用な事で
埋まるようになったら、
なんだか息がつまるような…。