【作家】たまたま書いたら旨かった作家・幸田文や武田百合子が羨ましい。
夜、寝る前なら
たぶん向田邦子のエッセイを取る。
構成がわかりやすいし、
文章も極めて平易だから。
昼間はたぶん手にしない。
昼間は須賀敦子か、米原万里か。
思考力が要る本がいい。
天才過ぎる達意のエッセイスト
武田百合子は、昼間ではなく、
寝る前でもなく、
逢魔ヶ時がふさわしい(笑)。
あるいは、
朝からごろ寝を決め込んだ、
雨の日曜日かしら。
さて。
向田邦子は、作家になりたくて、
ラジオの構成作家から努力を重ねて
直木賞作家にまでなった、
野心的な作家の見本のような人。
読みやすいかどうかはともかく、
ハマる人、ハマる時には、
心のひだ全てに染み通る、
武田百合子は
ある時、人からたまたま求められ、
書いてみたら、多くの人を
結果的に虜にした、
求められてなった作家。
夫・武田泰淳の山小屋日記に
夫に言われ、自分も書き出した、
『富士日記』はそうしてできた
日記エッセイの名作。
武田百合子は、どれも全然、
作家を目指そうなどといった
魂胆は持たぬまま、
夫の執筆や交遊する作家の推薦から、
仕方なく文学に足を踏み入れて
しまった人です。
書いたら天才だった「魔物」です。
創作家には、たまに
こういうタイプがいますねえ。
羨ましいにつきます。
もともと書くことに憧れてもいない。
なのに、まあしぶしぶやってみたら
えらく出来てしまうタイプ。
一方、須賀敦子は、
もともと詩を書いていた。
作家に憧れはありました。
イタリアでは、
日本文学をイタリア語に訳す
翻訳家になった。
その後、寄り添ったイタリア人の
夫を急に亡くし、悲しみにくれ、
言葉が後から後から溢れるのを
川端康成に相談したら、
それが文学の入り口だと言われた。
ああ、あれも話したかった、
これも話したかった、、、。
本格的な長いエッセイを
書き始めたのはそのずっと後。
幸田文は、
明治の文豪、幸田露伴の娘として、
父や弟の死の思い出を、
これまた、周りに頼まれて書いたら、
旨くて評判になった人。
作家を目指した自意識は、
幸田文という「健全」な人には
つゆ、なかった気がするんです。
なろうとして作家になった
向田さんは、
読者へのサービス精神も
計算づくしの伏線や構成、
ラストの印象の盛り上げなど、
どれも読者に寄り添おうと、
プロフェッショナルな精神が溢れてる。
作家の鏡ですね。
だから、それゆえ、深みは余り出ない。
一方で、
なりたいというより、
境遇や家庭環境から
作家になった人たちは、
計算づくしの構成も
読者へのサービス精神も弱い。
なのに、
彼女たちの書いた文を読み始めたら、
独自の世界を持っていて虜になる。
どちらも羨ましいけど、
後者が、より一層羨ましい。
なってみたかったな。
求められて、渋々、身辺雑記を
編集者に渡す作家に(笑)。
もちろん、向田邦子は読みやすいから
寝る前にはピッタリで素晴らしい。