映画『ボヘミアン・ラプソディ』から学ぶ、フレディ・マーキュリーの美学
先日、Queenの映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見に行った。
座席を見渡すと、年配者層の方々が多かった気がする。
まず、驚いたのが再現性。メンバー皆そっくり!!
リアルタイムに知らない世代としても感動もの
実はQueenを中学生の頃に知り、その世界観に魅せられて以来、成人になってからもよく聞いていました
ギタリストであるブライアン・メイのギターソロは、よくコピーしていたので感慨深かったです。
フレディはHIV(エイズ)に侵されながらも、自分に課せられた使命をまっとうしていく。
それは自分の立場をしっかり理解しているからできること、
言うなれば、周りを気にせずに自身のポジションを取り、明確にして、皆からの承認を得られてこそできる自己表現なんだと思う。
日本人の島国根性的な国民性(ナショナリズム)は、時に団結力を強くするが、良くも悪くも同質化の集団圧力が生じてしまう。(郷に入れば郷に従え、長い物には巻かれろ、etc)
僕はそこにヒエラルキー(階層)に基づいた、古来からの縦社会を連想してしまう。
自分のユニークさを発信して、それを認め合える文化が当たり前になれば、もっと対人に対する葛藤やストレスは軽減されていき、理不尽な思いをすることは少なくなると思う。
デジタルネイティブな現代は個人発信の時代、、
コンプレックスをユニークさに変えて、
誰もがフレディのように自己表現を!
自己表現が価値を見出す時代になっていくのは間違いないと確信している。