ブログ再開
元々あったブログを再開してみようと思いログインを試みたが、登録したパスワードもIDも完璧に忘れてしまい断念。
なので前から良いと聞いているnoteで新たに開設してみた。
まだ全然使い方も分かっていないが文字を書く練習や頭の整理の為のメモがわりに使っていきたい。
初投稿でこんなこと言うのも何だが、僕のブログは多分暗い内容が多くなると思います。普段言えない事を書こうと思っているので。(そもそも僕のブログなんて誰が読むのだろう)
僕は普段ほとんど喋らないし、喋ったところで思っている事の半分も上手く話せない。何を考えてるか分からないとよく言われる。
だから言い逃した言葉を綴る為の場所が必要だと前から羅列した脈略のない文字のメモ書きをよくしている。僕以外が見てもおそらく訳がわからないだろう。
紙に文字を書くのがメインだけど机とペンと紙が要るので、布団の中で寝る前や寝てる最中に思いついた事をすぐ記録できる様にすぐ手元にあるデジタルのツールがやはり必要な気がして。
起き抜けの寝惚けた頭で考えた文章なんて危なっかしいものをよくネット上に晒せるもんだなと思う。今だって殆ど微睡んでいる(まどろむってこんな漢字なのか)最中なので明日の朝見たら多分何故こんな事を書いたのかと恥ずかしくなるはずだ。
でも多分やる価値はある。
自分のダメなところ、情けないところをどんどん見せていくべきが本当の人間なんじゃないかなと最近思う。
いつもSNSでは写真を載っけて制限のある文字数を気にしながら書いては消してを繰り返す。そうしているうちに何が言いたかったのかもあやふやになり、最終的に削ぎに削いだ一行を添えることになる。
それ以外にもたくさん言いたかった事はあったのに出しどころを逃してしまう。
洗練された一文なら良いが、大抵そうじゃない。
気持ちの内を瞬発的に外に出せる人が前々から羨ましくてしょうがない。
よく、また余計なこと言って。と会話中に懸念を示す事があるが僕にも余計なことを思う心は勿論あって、それをその瞬間出せるか出せないかなだけであって余計な事まで伝えれる細かさと俊敏さが僕は欠如している。
皮肉で言ってるんじゃなく本当に羨ましいのだ。
頭の中で脳みそが「こう言え」と司令を送るまでに時間がかかる。
いや、時間がかかるんじゃなくて何かを伝えようとした時、頭の中ではたくさんワードや情景が浮かんではいる。
そのどれかを出そうと思った瞬間に自分で「これはニュアンスが違う」、「これは説教くさくなる」と勝手にジャッジしてしまって、結局最小限に収まってしまう。必要最小限ではなく只の最小限に。
ずっとこういう事を考えながら人と接して生きているせいでいつからか一人でいる事が多くなった。僕の自意識が高いせいで。その方が自分も楽だし他の人に気を使わせないで済むだろうと。でもみんな意外とまた会ってくれたり、話しにきてくれたりする。
たいして面白い話もできないのに何故だろう。せめてそんな人たちと人並みには普通に会話がしたい。
未成年だった頃に想像した30代の自分はもっと立派な大人であった。
まだ若くもあるしおじさんと呼ばれてもいい年齢に差し掛かっていると思うが、内面は10代の時から一つも変わらないもんだなと思う。
音楽を続けている。10代から続いてることは音楽だけ。それもまた自意識過剰だからこその人前に立てる鈍感さと、そこでしかこういう気持ちを込められる場所がなかったからかなと思う。
書き始めて1時間経ったし書いて少しすっきりしてきたので今日はこの辺で終わろう。
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