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#37理学療法士の中国リハビリ記録【雪国のアリガトウ】

声がかかった冬の旅

東北地方の厳しい冬、旧正月の最中に知り合いから連絡があった。98歳の老人のリハビリを頼みたいという話だった。

普段から高齢者のリハビリに携わる身ではあったが、その老人は3年間もベッドに伏せたままで、ほとんど動けない状態だという。東北の冬はマイナス30度を下回り、骨身に染みる寒さだ。それでも、老人の家族の切実な願いに心を動かされ、僕は重い雪雲の下、その地を訪れることにした。

老人との初対面

老人が暮らす家に着くと、そこは旧満州国だった地域にある古い家屋だった。

反日感情などあるのだろうかと想像を巡らせるも、独りよがりの妄想。迎え入れてくれた家族は、僕に深く頭を下げた。98歳の老人は家族に大切に世話をされていたが、長い寝たきり生活の影響で、手足は拘縮し、関節は固まり、股関節を少し動かすだけで激痛を訴える状態だった。

老人の目は静かに閉じられ、言葉少なに横たわっていたが、その表情には諦めと悲しみがにじんでいた。何とかして、少しでも動けるようになってもらいたい。その思いで、僕はリハビリを始める準備をした。

冬の中国東北。現地の人は名もなき街だと言ったが、
人々の息遣い、力強い生活の熱量があった。

熱したタオルと小さな一歩

まず、熱したタオルを用意した。冷え切った体を温め、少しでも血流を良くしようという狙いだった。タオルをゆっくりと手足や腰にあて、凝り固まった筋肉をほぐしていく。老人の表情には少し痛みが走るようだったが、僕は優しく声をかけながら、少しずつ体を触れていった。

次第に、拘縮した関節をゆっくりと動かし始めた。指先、手首、肘、膝、股関節。無理のない範囲で少しずつ可動域を広げていく。

この作業には細心の注意と忍耐が求められた。痛みが強くなるたびに、老人はわずかに顔をしかめるが、僕は「大丈夫です。少しずつ進めていきましょう」と言いながら作業を続けた。

やがて、上体を支える準備が整った。僕は家族の協力を得て、老人をゆっくりと座らせることにした。数年ぶりにベッドから起き上がる瞬間だった。

奇跡の瞬間

老人が体を起こし、座ることができた瞬間、その表情が一変した。これまで閉じられていた目が開き、そこには驚きと感動があふれていた。頬を伝う涙がその気持ちを物語っていた。

周囲で見守っていた家族も涙を流しながら、「座ったのは何年振りのこと!」と声を上げた。僕の胸には言葉にならない感情が広がった。わずかに座れるようになっただけでも、これほどまでに人を喜ばせることができるのか。

日本語での感謝

その時、老人がふと口を開いた。かすれた声で、しかしはっきりとこう言った。

「アリガトウ」

思わず耳を疑った。それは外国人ならではの抑揚があったが明らかに日本語だった。僕は驚きながらも、「どういたしまして」と自然に応えていた。

家族の話によると、老人は若い頃、日本語を学び、旧満州国で暮らしていたという。日本語で「ありがとう」と言えるだけの力が残っていることにも感動したが、それ以上に、彼がその言葉を選んでくれたことに深い敬意を感じた。

身体はまるで一枚の板のように硬かった。
痛みを堪えて、それでも座れる喜びを噛み締めているようにも見えた。

温かい余韻

その後も老人のリハビリは続けられ、家族とともに小さな進歩を喜び合う時間が続いた。寒い旧正月の季節にもかかわらず、家の中には温かい空気が満ちていた。

98歳という高齢で、3年間寝たきりだった老人が見せてくれた涙と笑顔。その瞬間を共有できたことは、僕にとって忘れられない経験となった。そして、彼の「ありがとう」という言葉が、僕の心に温かい光を灯してくれたのだった。

人が動き出す瞬間。それは単に体が動くだけでなく、心が前に進むことを意味しているのかもしれない。僕はそのことを、この老人との出会いから学んだのだと思う。

【動画:幸運を願い、爆竹を放ってもらったときの映像】

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JUNYA MORI
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