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#30中国リハビリ記録【無言の声|異国の地で紡ぐ物語】No.1

家族は彼女のために何千キロもリハビリの旅を続けていると聞いた。日本では考えられない話だが、中国の現実は僕が思い描いていた以上に厳しいものだった。

少女との出会い

2023年4月ーー。
中国南部のある都市に、日本人理学療法士として僕はいた。乾いた空気が心地よく、リハビリ室の窓から見える景色は鮮やかな青だった。

午前10時過ぎ、一人の少女が家族に連れられてきた。
その少女は、低酸素脳症により重度の脳障害を患い、全身の筋緊張が著しく亢進しているという。診断は錐体外路の障害による運動機能障害とのことだった。

別の患者のリハビリを終え、受付に向かうと既に一組の家族が待っていた。父親と母親、そして祖父と思しき男性が、16歳の少女を囲むように座っている。

父親は年の割に疲れた表情をしており、母親は落ち着かない様子で少女の左手を押さえていた。その奥で祖父がうつむいている。

少女は細い体を車椅子に預けており、その背は筋緊張のせいで大きく反り返っていた。左腕は伸び切り、自分の意志とは無関係に動かされているかのようだ。

彼女の顔立ちは整っており、まるで眠っているかのような穏やかさがあったが、その瞳は確かにこちらを見据えていた。声は出せないものの、聡明さを秘めた眼差しには何か強い意志が宿っているように感じられた。

「彼女が3年間闘病している少女です」

施設のスタッフがそう耳打ちしてきた。僕は深く息をつき、少女の元へ歩み寄った。『初めまして』と声をかけると、彼女の視線が一瞬だけ僕を捉えた気がした。

返事はない。もちろん、ないのは分かっている。それでも、その沈黙の中にある意味を探ろうとした。彼女の名は碧蓮(ビーリェン)。

筋緊張の中で

身体が自分の意志とは反する形で動く──それがどれほど苦痛なことか、僕には想像もつかない。

しかし、彼女の身体がそれを物語っていた。左腕は彼女の意志を無視して伸び切り、背中は常に張り詰めたように反り返っている。彼女は、自分の身体の中に閉じ込められているようだった。

その姿を目の当たりにして、何かしなければという衝動も湧き上がってきた。それと同時に、僕は無力感にも襲われた。

リハビリの旅

「彼女のために、私たちはこれまで中国中を回ってきました」父親が静かに語り始めた。彼の言葉には疲労と覚悟、その両方があった。「北京にも行きました。上海も。そして今ここへ。何千キロもの距離を車で移動し続けています」

その話を聞きながら、僕は息を呑んだ。日本ではまず考えられない状況だ。日本ならば、必要な医療やリハビリは患者の元へ届く仕組みが整っている。

しかし、ここ中国では、家族がその責任を一身に背負い、数千キロもの旅路に出る。彼らの覚悟に言葉を失うばかりだった。

リハビリをやり尽くしたであろう彼らに、僕は何ができるだろうか。その問いが頭をよぎる。

少女は喋ることができない。表情にも感情は乏しい。でも、その瞳は何かを伝えようとしているーーそんな気がしたが、この時は感じられなかった。

彼女との出会いが、この先の僕の中国での活動を大きく動かすことになる。

けれど、このときはまだ知る由もなかった。

【つづく】

碧蓮とのリハビリの一場面。
まるで誰かに後ろから引っ張られている……そんな印象を受けた。

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JUNYA MORI
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