#3 理学療法士の中国リハビリ記録【南京市玄武湖で感じた古都の吐息】
玄武湖の湖畔
僕は南京市の玄武湖を訪れた。
その街は鈍い曇天に包まれていて、どこか静けさを漂わせていた。中国、江蘇省の省都である南京は、長江下流の南部に位置し、江南地方の政治・経済の中心地だ。この都市の歴史はおよそ2400年前、戦国時代中期に始まり、呉や明など10もの王朝の都が置かれてきた。
異国で理学療法士として働き始めた僕は、その深い歴史に触れようと、この地を歩いていた。玄武湖の広大な湖面を眺めると、そこには現代の喧騒とは無縁の静けさが広がっていた。湖畔を歩く人々の足音や、微かな風が木々を揺らす音が僕の耳に届く。
その日は、中国で初めての患者と向き合った後の、最初の休日だった。期待と不安が入り混じる初日。患者との対話は順調とは言えなかった。文化の壁、言語の壁、それらが僕の前に立ちはだかり、自分の未熟さを痛感した。
"何が足りなかったのだろうか?"と自問自答を繰り返し、答えは見つからないまま玄武湖の散策路にたどり着いた。
湖畔に立ち止まり、水面に映る灰色の空を眺めていると、ふとこの地に住んでいた古の人々のことが頭をよぎった。
何千年もの歴史を持つこの都市で、人々はどのように病や痛みに向き合ってきたのだろうか。時には前向きに、時には心労しながら、日々の生活を送っていたのではないだろうか。僕は彼らの声に耳を傾けようと、想像の中で目を閉じた。
長い歴史の中で、戦火や疫病、数々の試練がこの地を襲った。それでも人々は生き延び、再び立ち上がり、新しい命を育んできた。その不屈の精神を思うと、僕自身も前に進む力を少しだけ取り戻せる気がした。
湖畔に聳える古い壁
散策を続けていると、湖畔に立つ一本の古い壁が目に留まった。その石ひとつ一つには無数の傷が刻まれている。それは過ぎ去った時代の証人のように思えた。
僕はその壁にそっと手を触れ、古の都の息遣いを感じようとした。石の表面はざらついていたが、そのざらつきはまるで「君もここで立ち続けてみよ」と語りかけているようだった。
玄武湖を後にして街を歩いていると、活気のある市場の喧騒が耳に入ってきた。現代に生きる南京の人々の笑顔や生活の一端に触れることで、僕の心は少しずつ軽くなっていった。祖先が紡いできた歴史の上に立ちながら、現代の人々は日々を生きている。その姿を見ていると、僕の悩みが小さなものに感じられた。
明日はまた、新しい患者との出会いが待っている。この地で理学療法士として何ができるのか、まだ答えは見つからない。それでも、今日玄武湖で感じたことが、僕の心に小さな光を灯していた。その光を手掛かりに、一歩ずつ進んでいこうと思う。
南京の街の喧騒の中で、僕は小さく息を吐き出した。その息は春の空気に溶け込み、見えなくなった。しかし、その瞬間に心の中に生まれた決意は確かだった。