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#14 理学療法士の中国リハビリ記録【博士課程の学生が見せた涙】No.2


孤独の中の探求者

彼の言葉を聞いて、僕は胸が詰まる思いがした。張偉の姿は、どこか昔の自分を思い起こさせるようでもあった。

目標に向かう過程で、周囲の誰もがその意義を称賛する中、自分だけがその意味を見失い、迷子になっているような感覚。それは、きっと彼にしか分からない孤独なのだろう。

彼がふと微笑みを浮かべた。だが、その微笑みはどこか空虚だった。

「哲学の本を読むのは、こういうときだけ少し安心するからです。過去の偉人たちも、僕と同じように悩み、迷っていたと思えるんです」

その言葉の中に、彼の孤独な戦いが浮かび上がるようだった。

小さな助言

彼のリハビリは数ヶ月続いた。彼は徐々に話さなくなり、ついにはセッションの間にも返答がなくなった。

無言の彼に寄り添いながら、僕は自分に何ができるのかを考えた。張偉は頭が良く、考えが深い。それだけに、軽い励ましやアドバイスは逆効果だろう。けれど、何も言わずにただ聞いているだけでは足りないような気もした。

「張偉さん、張偉さんの悩みに対して、具体的な答えは僕には分からないです。でも……一人で戦わないほうが良い気がします」

彼は少し哀しそうな顔をして僕を見た。

僕は続けた。

「周りを頼るのは良いことです。僕は頼りっぱなしで40年以上生きてきましたよ」

僕の言葉に対して、張偉は上の空のような表情を浮かべた。確かに、その言葉が彼にとって助けになるとは思えなかった。けれど、それでも僕はそう伝えたかった。

リハビリが終わる頃、僕は彼にこう言った。

「僕に生き方を教えることはできないけど、話を聞くことはできます。いつでも遊びに来てください。コーヒーくらいなら用意できる」

それは半分冗談のつもりだった。だが、彼の反応は予想外だった。

僕の言葉を聞いた途端、張偉は急に息を詰まらせた。そして、静かに涙を流し始めた。その涙は声を上げることもなく、静かに頬を伝い、床に滴り落ちていった。

僕はその光景に息を飲んだ。彼が抱えているものの大きさが、目の前で形を成したように感じた。孤独、不安、自分にしか分からない葛藤。それらをすべて抱えながら、彼は今も戦い続けているのだ。

その涙には、言葉では表せない感情が込められていた。張偉の中で、何かが崩れ落ち、同時に何かが解き放たれたのだろう。

僕は言葉を失い、ただ彼の肩にそっと手を置いた。そして次第に、彼を抱きしめた。

特に言葉はなかった。

僕には、彼の孤独をすべて消してあげることはできない。それでも、この瞬間だけでも、彼が誰かと繋がっていると感じられるように。

それから数分間、張偉は涙を流し続けた。僕たちは何も言わず、ただそこにいた。彼の涙が止まり、落ち着きを取り戻したころ、僕らはリハビリ室を出た。

未来へ続く道

張偉が将来どんな道を歩むのか、僕には分からない。けれど、彼が自分の足でその道を選び、進んでいく姿を見られるのなら、それで十分だと思う。

孤独や不安は誰にでもある。張偉のように賢い人ほど、その重みは大きくなるのかもしれない。それでも、誰かがそばにいてくれるだけで、人はほんの少しだけ強くなれるのかもしれない。

屋外でのリハビリの様子。時には無言で歩き続けることもあった。

静かな疑問

ふと思い出す。張偉とのリハビリ中、彼がこんなことを口にしたのは、ある雨の日だった。僕は彼に『中国の人や文化を学ぶ上で参考になる書籍はないか』と尋ねたことがある。

彼はフランツ・カフカの『城』を読むべきですよと答えた。

僕は一瞬言葉に詰まった。カフカと中国文化の繋がりが、すぐには思い浮かばなかったからだ。『どうして?』と尋ねると、張偉は微笑んでいただけで、回答らきしきものは何も語らなかった。

彼の言葉の意味を求めて、僕は『城』を読んだが、彼の言葉の真意については未だにつかめていない。

Amazonで購入した電子書籍版のカフカ『城』。
中国の歴史や人、文化について学ぶ推薦書だと彼は言った。

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JUNYA MORI
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