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#22理学療法士の中国リハビリ記録【金泥棒!脊髄損傷の女の子が叫ぶNo.2 】

ケーキの瞬間とその後

彼女のリハビリが進む中、僕らにとって一つの課題が浮き彫りになった。それは拒食症だった。

「ほとんど食べてくれないんです」母親が消え入りそうな声で言った。「家でも同じで…。食事を見ただけで顔を背けるんです。食べても自分から吐こうとする…」

家族はすでに諦めていた。だが僕らは違った。食べる喜びを取り戻してほしい。それはリハビリの一環だと考えた。

小さな作戦

ある日、僕たちは彼女のためにケーキを用意した。リハビリの合間にみんなで食べるという提案をスタッフ内で話し合い、準備を整えた。

「本当に食べてくれるかな?」

「やるだけやってみましょう」

その日、シャオリンがリハビリ室に現れると、テーブルの上に置かれた小さなホールケーキが目に入るように仕向けた。生クリームが嫌いな彼女に用意したのはチーズケーキ。

「今日は頑張ってくれたから、ちょっとしたご褒美だよ」僕は軽い口調で言った。

彼女は最初、無表情だった。けれど、テーブルの前に座らされると、スタッフが一口分ずつ切り分ける様子をじっと見ていた。

「一緒に食べようよ」僕らはそう誘った。

心の中ではドキドキしていた。もし拒否されたらどうしようかと。

それはシンプルにチーズケーキだった。
でも、飾り気がないからこそ、食べてもらえるような気がした。

奇跡のひと口

まずはスタッフと両親がケーキを食べる。それは彼女に対する演出の一環で、事前に打ち合わせしていた。

みんなが食べる姿を見て、彼女はスプーンを手に取ると、一瞬迷うように止まった。そして、ゆっくりとケーキを口に運んだ。僕らは横目でその様子を見守る。

口に入ったケーキを咀嚼し、飲み込んだ瞬間、彼女の表情が少しだけ緩んだように見えた。

「おいしい?」と聞くと、ほんのわずかに頷く。

その場にいたスタッフ全員が笑顔になった。僕は胸がいっぱいになり、心の中でガッツポーズをしていた。シャオリンがケーキを食べてくれた。それで十分だった。

彼女はその日、初めて僕たちに小さな声で『ありがとう』と言った。その言葉がどれほど僕らを喜ばせたか、彼女は気づいているだろうか。

突然の別れ

しかし、その喜びが長く続くことはなかった。

翌週、彼女はリハビリ室に来なかった。母親からの連絡では、『家庭の事情でしばらく来られない』とのことだった。僕らはその言葉に引っかかりを覚えたが、深く追及することはできなかった。

数週間が過ぎても彼女は戻らなかった。そしてそのまま、シャオリンがリハビリ室に現れることは二度となかった。

現実の重さ

「どうしてなんだろう?」

スタッフ同士で話し合っても、誰も明確な答えを出せるはずがなかった。

あの日、ケーキを食べてくれた彼女の笑顔が忘れられない。それだけに、彼女が突然去った現実を受け入れるのは苦しかった。

「あれは無意味だったのかもしれないな」あるスタッフが漏らした。

「そんなことはないよ」と僕は言ったが、自分自身もその言葉を信じ切れなかった。自分に言い聞かせていただけかもしれない。

ハッピーエンドの物語のように全てがうまくいくとは限らない。それが現実だと改めて突きつけられた。ケーキ用意したことが、逆効果だったのだろうか。それすら悔やまれる。

リハビリの一コマ。喋ってはくれないが、嫌がるわけでも無かった。
笑顔の瞬間に見せる目に哀愁がある。そんな少女だった。

その後の希望

シャオリンは帰ってこなかったが、彼女の記憶は僕らの中に残り続けた。

ケーキを食べたときの小さな笑顔、そして「ありがとう」と言ってくれた瞬間。その瞬間、僕らの仕事には意味があると思えた。

現実は時に不条理だ。それでもシャオリンの「ありがとう」は、本当だったと信じたい。

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JUNYA MORI
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