#20 理学療法士の中国リハビリ記録【タバコの向こうに見えた交流】
中国に来て、理学療法士としての新しい生活が始まった。患者との交流は何とかできていたが、リハビリの場面では通訳に頼ることが多かった。言葉が間に入ることで、伝えたい思いが薄まってしまうような感覚。それがもどかしかった。
職員との距離もまた縮まらない。言葉の壁だけでなく、文化の違いも影響しているのだろう。休憩室では皆が笑いながら談笑しているが、その輪に加わることができず、孤独な日々が続いた。
一本のタバコ
そんな閉ざされた日常を変えたのは、一本のタバコだった。
ある日のこと、リハビリ室を出た僕は、職員たちが集まる喫煙所に向かった。中国ではタバコが文化そのものだと聞いていたが、その意味を実感する機会がなかった。そこで僕は、タバコを手にしたまま彼らの輪に加わった。
職員の一人、年配の男性が僕に声をかけた。「你抽不抽(タバコ吸う)?」
彼はポケットからタバコの箱を取り出し、一本差し出してきた。中国ではタバコを分け合うのが礼儀らしい。僕は彼の厚意を受け取り、火をつけてもらいながら軽く頭を下げた。
「你喝酒(お酒は飲むの)?」と彼が尋ねた。
「不喝酒(飲まないんだ)」僕は首を振った。
「不喝酒?哈哈,那你真是个特别的人!(酒を飲まないのか?ハハ、それは珍しいな!)」
周囲が大きな声で笑う。その時、不意に患者がふらりと喫煙所に現れた。彼もタバコを手に持ち、職員たちの輪に加わる。中国ではこんなこともあるのだと驚きながら、その患者に目を向けると、彼はにこやかに笑いながらこう言った。
「医生叫我不要吸烟。(医者には吸うなと言われたよ。)」
周囲がまた笑い声を上げる。患者はさらに続けた。「可是不吸烟,怎么开心呢?(でも吸わなきゃ楽しくないだろ?)」そう言いながら、彼は僕に向かってタバコを一本差し出してきた。
タバコの煙に抱かれて
健康に害を及ぼすとされるタバコ。それを職業柄知っている僕は、気まずさを感じつつも、ここではそんな議論をするつもりはなかった。職員たちに「タバコは体に悪い」と言ってみたこともあるが、返ってきたのは意外な言葉だった。
「真的吗?我没听说过!(本当か?そんな話、聞いたことがないぞ!)」
その一言に、僕も思わず笑ってしまった。ここではタバコがただの嗜好品ではなく、人と人をつなぐ道具なのだ。議論するものではなく、共有し合うもの。日本のように厳しく規制され、肩身の狭い思いをすることもない。
喫煙所での時間は、次第に僕にとっても大切なひとときになっていった。職員たちとの会話が増え、患者たちとも打ち解けやすくなった。たどたどしい中国語を笑いながら訂正してくれる人もいる。タバコの煙に包まれながら、僕はようやくこの職場の一員として受け入れられたような気がした。
向こうに見えたもの
もちろん、タバコの害については理解している。患者の健康を支える立場でありながら、堂々と言える趣味ではない。それでも、ここで見たタバコ文化は、僕にとって新鮮だった。健康を気にするのはもちろん大事だが、それだけでは測れない人とのつながりもある。
タバコの煙の向こうに見えたのは、意外な形で広がる温かい人間関係だった。
今でも時折、患者たちと喫煙所で顔を合わせる。笑い合いながら過ごすその時間は、僕にとって中国での新しい生き方を教えてくれたのだ。