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#28中国リハビリ記録【オーストラリアへ夢を追いかけ飛んだ彼】 No.2

拒絶と受容の狭間で

浩然は少しずつ笑顔を失っていった。最初はリハビリ中も冗談を言い合ったりしていたのに、次第に口数が減り、目も合わせなくなった。

彼は自分の障害を心のどこかで拒んでいたのだろう。それでも、それを完全に否定することもできない。受け入れることと拒むことの狭間で、彼の心は揺れ動いていた。

「僕がこんな体じゃなければ……」浩然がつぶやいたのは、リハビリ中に初めてだった。

「浩然君、それでもここまで回復してるじゃないか。できることも増えてるよ」と僕が励ますと、彼はうつむいて小さく笑った。「それは先生がそう思いたいだけかも」

その言葉には刺のようなものを感じた。

家庭の中で

リハビリ室での態度とは裏腹に、家庭での浩然は怒りを爆発させるようになったと聞いた。

「息子が変わってしまいました……」母親が涙ながらに話してくれたのを聞いたとき、僕の胸に何かが突き刺さる思いだった。浩然は、自分の未来が以前のようにはいかない現実を少しずつ理解し始めていたのだろう。それが彼の苛立ちや怒りとなって表れているのだ。

ある日、母親が泣きながらこう言った。「浩然は怒りに任せて食器を投げつけるようになりました。あの子の将来を信じてあげたいのに、私もどうしたらいいのかわからない」

浩然自身も苦しみ、そして家族もまたその苦しみに巻き込まれている。それでも僕には、彼に直接寄り添う術がなかった。

オーストラリアの夢をリハビリに

彼に何ができるのかを考えたとき、僕の頭に浮かんだのは、かつて僕自身がオーストラリアで過ごした日々だった。移動には路面電車を使い、街の景色を眺めながら、吊り革につかまって立ち続ける。浩然もそんな環境に身を置くだろう。

そこで浩然のプログラムに、バランスエクササイズや吊り革を掴んで立位を維持する練習を取り入れることにした。僕はできるだけオーストラリアの環境を想定し、彼に未来への準備をしてもらうよう工夫した。

「浩然君、オーストラリアでは路面電車に乗る機会が増える。それを想定した練習をやろう」と声をかけたとき、彼は小さな声で「そんな日が来るといいですけど」とつぶやいた。

その言葉には希望のかけらもあったが、まだ心の底から信じているようには見えなかった。でも彼は熱心に取り組んでくれた。

レッドコードを使ったプログラムを作成。
静的、動的バランスのエクササイズを中心に取り組んだ。

別れの時

そんな彼のリハビリに取り組む日々も、僕が彼の担当を離れることで終わりを迎えた。浩然がどう感じていたのか、最後のリハビリで僕に対してどんな思いを抱いていたのか、今となってはわからない。ただ、僕自身も中途半端な気持ちを抱えたまま、彼の元を去ることになった。

メールの奇跡

それからしばらく経ったある日、僕のもとに一通のメールが届いた。差出人は浩然だった。

メールには数枚の写真が添付されていた。その中には、僕が住んでいた懐かしいメルボルン近郊のチャイナタウンの景色が写っていた。路面電車が通る街並みと、レストランで両親と笑顔で食事をしている浩然の姿。

彼はオーストラリアに行ったのだ。

【I’m feeling great! How about you? (僕は最高の気分だよ。君はどう?)】と僕が打つ。

【I’m feeling absolutely fantastic!(もちろん僕は最高です!)】彼が返す。

彼が送ってくれた写真。
僕にとっても思い出の景色がそこにあった。

エピローグ:未来へ

浩然が送ってくれた写真に写る笑顔は、以前のものとは違っていた。明るさの中に、強さと覚悟が感じられる笑顔だった。

未来は絶望か希望か。きっとそのどちらでもなく、その両方を抱えながら進んでいくものなのだろう。浩然はその答えを自分自身で見つけたのだと思う。

僕もまた、彼の旅路に少しでも関われたことが嬉しい。

これは僕が彼に送った一枚。ちなみに右が僕、左はチェコ出身の友人。
時代を経て、浩然と僕ら同じ街で同じ景色を見ている。
でも彼の歩む道は僕とは全く違うのだ。
そう思うと、どこか不思議な感じがした。

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JUNYA MORI
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