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#8 理学療法士の中国リハビリ記録【震える少女。過酷な現実】

少女との出会い:揺れる希望と現実

中国で理学療法士として働き始めて間もない頃、8歳の少女と出会った。その日、僕が最初に感じたのは、少女を包むどこか冷たく張り詰めた空気だった。彼女はバリズムや舞踏病のような不随意運動に苦しんでいた。原因は脳のウイルス感染と言われていたが、それ以上の詳細な情報は与えられなかった。

彼女の歩行を評価すると、小脳性失調を思わせるようなふらつきが顕著だった。立つこともできず、わずか数メートル歩くだけで全身が大きく揺れ、ひとりで歩くことはできない。その様子を見て、彼女がどれほど日常生活に苦労しているかを想像せずにはいられなかった。

厳しい現実の中で

リハビリを始めようとすると、彼女は激しく嫌がった。それまで厳しいリハビリ施設で長い時間を過ごしてきた彼女にとって、「リハビリ」という言葉そのものが恐怖を伴うものだったのだろう。僕が優しく声をかけても、その反応は変わらなかった。

彼女の母親は、その反抗的な態度に我慢ならなかったようだ。

「言うことを聞きなさい」と冷たく言い放ち、時には手を上げることもあった。

母親がなぜそこまで厳しい態度を取るのか、僕にはなんとなく理解できるように思えた。期待と不安……。愛情と厳しさ……。複雑に絡み合った感情がそこに見てとれた。けれど、その小さな体が精神的にも肉体的にも追い詰められているのが痛々しかった。

ルービックキューブに映る健気さ

評価が終わり、僕が母親と面談をしている間、彼女は部屋の隅でルービックキューブを見つけ、それを手に取った。小さな手でキューブの一面を回そうとしたが、運動障害のため何度も落としてしまう。そのたびに彼女は椅子から身を乗り出し、キューブを拾い上げては再び挑戦した。

その姿を目にしたとき、僕の心に強い感情が込み上げてきた。あまりにも不安定で、あまりにも必死なその動き。彼女の心の奥底には、まだ諦めない何かが残っているように思えた。僕はその姿をじっと見つめながら、胸が締め付けられる思いだった。

母親からの問いかけと現実の重さ

「治せるんですか?」母親の声が斬るようにスパッと聞いてきた。「治す自信がありますか?」

母親の声が僕に鋭く突き刺さった。その問いは、『治せないなら、これ以上彼女を苦しませたくない』という切実な思いが込められているようだった。僕はリハビリの方針を慎重に説明した。身体機能の改善を目指しつつ、生活の質を高めるための支援を進めたいと伝えた。

だが、母親の反応は冷たかった。「話にならない」と一言だけ返され、場の空気はさらに重くなった。僕は必死に、学校生活とリハビリを両立させる方法を提案した。生活の中で無理のない形で進めることが彼女の心身に良い影響を与えると信じていた。

しかし、その言葉も母親の口から語られる現実に押しつぶされた。

「彼女はすでに、毎日6時間、週6日のリハビリを受けています。それでも、この程度なんです」

その言葉を聞いた瞬間、僕は何も言えなかった。幼い彼女にこれほどの負荷を強いても、それが救いにならない現実。僕はリハビリの理想と現実の間で深い葛藤を覚えた。

手書きの資料を使い、僕はリハビリの方針を説明した。
体幹を中心としたバランス・エクササイズを主軸に立案したものだ。
彼女に作った資料だったが、実際に使うことはなかった。

忘れられない光景

その少女と会ったのは、あの日が最初で最後だった。彼女の生活がどうなったのか、リハビリが彼女にどんな影響を与えたのか、僕には知るすべがない。ただ、彼女がルービックキューブを何度も拾い上げて挑戦していた姿は、今でも僕の心に残り続けている。

理学療法士としての思い

僕が中国で出会った彼女の姿は、理学療法士としての僕に多くの問いを残した。リハビリとは、ただ身体を治すだけのものではない。病気と闘う子供たちが、その生活の中で生きる喜びを見つけられるように支えるものではないのか。

僕にとって、彼女の姿は答えを出せない問いの連続だった。それでも、彼女がルービックキューブを拾い上げるたびに見せた、その諦めない心。それが僕の中に、小児リハビリの本質を刻み込んだ。

ルービックキューブを見るたびに、僕は少女のことを思い出す。

その小さな体が繰り返し挑み、揺れる手でそれを握りしめる姿。それは僕にとって、リハビリの意味を問いかける象徴になった。

ルービックキューブを見て僕は、少女のことを思い出す。

小さな手が何度も挑戦したルービックキューブ。
それは僕の私物で日本から持ってきたものだ。
だから、きっとこれからも僕の側にいることだろう。

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JUNYA MORI
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