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#4中国リハビリ記録【まさかのクレーム!出鼻をくじかれた理学療法】

南京のリハビリ施設で働き始めて一年が過ぎたころ、僕はこれまでのキャリアで初めて「クレーム」に直面した。相手は27歳のびまん性軸索損傷(DAI)を抱えた患者の親だった。


出会い

その患者、王君(仮名)は交通事故で脳に重度の損傷を受け、注意障がいを伴う意思疎通困難な状態だった。初めて会ったとき、彼は椅子に座ったまま目線を動かさず、僕の声にも反応しない。

「李君、これから少しずつ一緒に動いていこうね」

そう話しかけても、彼からの反応は不確かな微笑みだった。ジェスチャーを交えて指示を出しても動かない。リハビリをどこから始めれば良いのか、僕は正直途方に暮れた。

2日間、彼の様子を観察しながら様々な動作を試した。その中で、立ち座り動作にだけはわずかな反応があることに気づいた。立ち上がろうとする瞬間に下肢の筋肉が少しだけ働いている。僕はそこに可能性を感じた。

プログラムの組み立て

「李君、今日は立ち座りの練習をしてみようか」

椅子の前にエクササイズボールを置き、支えながら彼を誘導する。僕の手の力を借りながら、彼は少しずつ立ち上がり、そしてゆっくり座る。この動作を何度も繰り返す中で、彼の筋肉が少しずつ反応を見せ始めた。

「これでいい。焦らず続ければきっと成果が出る」

僕はそう信じ、立ち座りを中心にしたプログラムを組み立てた。時にはテンポを変えたり、視覚的な刺激を加えたりして彼の注意を引きつける工夫をした。しかし、目に見える進捗はゆっくりだった。

クレームという衝撃

リハビリを始めて4回目だったと記憶している。僕は施設の代表者に呼ばれた。

「森先生、李君の親御さんからクレームが来ている」

「クレーム、ですか?」代表者の言葉に耳を疑った。

内容はこうだ。『リハビリでは立ち座りをさせるだけで、特別な技術が見られない。これでは金を払う価値がない』と。

僕のリハビリを否定するような言葉だった。

「親御さんが直接話したいと言っている。時間を取って説明してくれるか?」

「はい、わかりました。」と僕は首を傾げるように頷いた。

僕はその場を後にしながら、頭の中で何度も彼のリハビリの内容を振り返った。僕のやり方は間違っていたのか?立ち座り動作に焦点を当てた理由をもっと伝えるべきだったのか?答えは見つからないままだった。

親との対話

後日、彼の親と対面する場が設けられた。50代くらいの父親は真剣な表情で僕に訴えかけてきた。

「先生、息子に特別な手技がないリハビリをさせるだけで、本当に効果があるのですか?信じられないな」

僕は深く息を吸い、できるだけ冷静に答えた。

「今の彼の状態では、立ち座り動作が最も効果的です。この動作で下肢の筋肉が反応していることが確認できています」

しかし、彼の表情は変わらない。

「先生の治療は家でやる体操と何が違うんですか?私たちは特別な治療を期待しているんです。少なくともお金を払っているんだ」

僕は言葉に詰まった。理学療法士としての専門性をどう伝えるべきか。技術の裏にある理論をいかに彼に伝えるべきか。言葉だけではダメだったーー。

王君とのリハビリ場面の一コマ。膝を曲げてと言ったが動いてくれなかった。


理学療法士としての挑戦

その後、僕は父親の疑問に向き合うことを決めた。

「立ち座り動作は彼の筋肉や注意力を刺激する重要なリハビリの一部です。しかし、それだけではなく、リハビリ全体の意図や進捗をもっと分かりやすくお伝えするべきでした。」

彼はしばらく考え込んだ後、静かにうなずいた。

「息子のためにやってくれているのはわかります。でも、私たち家族も不安なんです。」

その言葉に、僕はようやく気づいた。問題の本質は、リハビリそのものではなく、家族の不安や期待に応えられていなかったことだった。

再スタート

それ以降、僕はリハビリプログラムを見直した。進捗を視覚的に示せる工夫を加え、彼が少しでも自分で動けた瞬間を家族と共有するようにした。立ち座り動作だけでなく、簡単な手足の動きや反応を引き出す課題にも組み込んだ。

理学療法士として中国で働くことには、多くの壁がある。技術や知識だけではなく、家族との信頼関係を築く難しさを今回の経験で痛感した。この仕事に就て20年ーー。それでも、難しい。

リハビリとは、患者だけでなく家族も含めた全体の「再スタート」を支えるものだ。僕は彼らと共に進む道を、時間と環境が許される限り、これからも歩いていきたい。

リハビリのプログラムは手書きでイラストを添えて、何度も説明した。

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JUNYA MORI
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