いよいよENCOUNTERS開幕/殴り書きのままですが、今の気持ち

久しぶりにというと語弊があるんですが、掛け値なしに無茶で実験的な企画をやっていて、それを一緒に楽しいんでくれる人たちとものづくりをしている。それが単純に最高だ、という話。
 昔だったらできなかったようなこと、それぞれが保守的になった瞬間に終わってしまうようなこと、一周回って、多少の無茶でも乗り越えられて、一緒に対話しながら作っていくことができる仲間がいるということ。そういうメンバーで作っている時、何か得体のしれないものが立ち上がってくる、これまでも何度かそういう経験をしてきたけど、それは関わる人たちが変われば全く違うものになる。だから、やはり物事を作り上げていく、というのは楽しい。展覧会が終わっても作品は残る。でも展覧会は、その場にしか立ち現れない空気を纏うことができる。そして、そこに展示された作品は、その場所で見た人の記憶とともに、その気配と残滓を残していく。そして根拠はないけれど、作り手のいいグルーブが生まれた時、それはひとつの生き物のようになってくる。そういう時、手応えを確信できる。そういう瞬間のためにものづくりをしているわけで、それを多くの人と分かち合えるとなお最高なんです。今回はそういうものを感じながら仕事をできている。
 同世代の作家たちが、気づけばそれなりの経験を積み、ちょっとやそっとでは崩れない確固たる作品の力を確立してきつつ、空間的な対話の中で、展覧会というものを遊べるようになってきたこともありつつ、若い世代が台頭してきてそのエネルギーに突き上げられている。この二つがとても大きいし、素晴らし。いい年になってきたので、こういうことを素直に言うことも憚れるようになり、そういうことをしよう、と周りに声をかけることもやりづらくなってきて、要するに腰がすっかり重くなってしまった。でも、そういうことも思いつつ、最初に、布施くんや西田編集長らに話をしてみて、喧々諤々議論してきて、今に辿りついてきたこと、そのエネルギーに押し上げられてきた実感もあって、ANB Tokyoのスタートとしても、自分自身の再出発としても、いいものになりつつあると実感している。コントロールせず、集まってきた人の考えややりたいことを最優先していって、それを無理やりくっつけていくような企画なので、当然はみ出してることは多々ある。でもそれを整えることよりも、エネルギーが次のエネルギーを産んで相乗効果の中で、物事が立ち現れること。そういう方向にかけたので、展覧会もライブも、よくもわるくもはみ出していると思うけど、今、そういう実験にかけられる場が少なくなってしまった今、ものすごく重要だと思う。決められた価値観、既存の制度、そういうものの中で、どのように地位を積み上げていくか、ではなく、見たことがないことをやりたい、みたい、と言う作り手の純粋な欲求をいかに発散させ、実現していくか、そしてそれをサポートしていけるか、そういうことを楽しめる環境とその輪が広がっていくこと。これがこれからにとって本当に重要だと思う。
 これまで美術館で仕事してきたけれど、そこは制度的な枠組みが強く、その制度の中で物事を実現していくことから免れられない。確かに僕がこれまでやってきた環境はかなり挑戦的なこともやらせてもらえる環境ではあったし、その中で、色々挑戦をしてきたと思う。でも、エスタブリッシュされた作品や作家を美術館という制度の中で展示していく、という手つきが内面化されてしまって、自分自身がそういう制度に組み込まれている違和感が次第に大きくなっていた。学生時代、ただ集まって話しているところから物事を生み出そうとするエネルギーがあって、そこから立ち上げていっていたし、そうするしかなかった。しかし、自分自身が仕事をする中でエスタブリッシュされたものを依り代としなければ、怖くて何かを立ち上げることができない、そういうところまで一旦きてしまっていたような気さえしてきていた。こういうことに気づかせてくれたのは、2018年に個展を開催した中谷芙二子さんでした。
 展覧会にむけて色々と中谷さんにインタビューする機会があって、その中でこれからの世代に対するサジェスチョンはないか、という月並みな質問をした。そこで返ってきた答えは「私たちは、自分たちの時代を目一杯生きてきたのだから、それはあなたたちの世代が考えること」というような言葉だった。その答えを聞いた時、自分の中に先人を頼ろうとしてしまう態度、そこから預かったものであれば正解であろう、というような気持ちが少なからずあったのだということを自覚させられて、本当に恥ずかしい気持ちになった。中谷さんは1950年代にアメリカでアートを学び、日本に戻ってきてからもさまざまなアーティスト達と出会い、70年の大阪万博では考えられないような実験的なプロジェクトにE.A.T.の一員として手がけ、その後もビデオを通した活動や霧の彫刻の現場でも、無茶を通しながら実現してきている。中谷さんの話に出てくる人物たちは歴史に名をのこす人たちばかりで、確立された偉大な人たちのストーリーのように思えてしまう。でも、きっとその当事者たちは何ができるかわからない中でもがきながら、喧々諤々話し合いながら、物事を実現してきたのだと思う、中谷さんや関係者の方々の話からはその臨場感がうかがえた。このことと、中谷さんから返ってきた質問の答えについて考えていくなかで、前が見えない、何ができるかわからないなかで、何かを立ち上げていく、その生々しさに向き合えるのか、そういう気持ちが失われていたことに気づかされた。それから、美術館を離れようと考るようになった。そんな中、急に香田さんにANB Tokyoと東京アートアクセラレーションの話で声をかけられる。コロナの混乱も合間って、心の準備もままならないまま、アートフェアやあいちトリエンナーレで仕事していた三木さんや、若手キュレーターやアーティスト、だけでなく、この機会で出会ったさまざまな方々を巻き込みならがら、ENCOUNTER”S”を作りながら、新しいENCOUNTER”S”を引き起こしていくために悩みつつ、あの手この手を考えながら、爆走してきたひとまずの成果をご覧ください。そして、その先についてみなさんと話していけたら幸いです!乱文、ご覧いただきありがとうございます。とにかく、実験をできる場、というのが大事です。

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