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自分に正直に生きる方法は感情に素直に従うことじゃないですかね?

誰だって自分に正直に生きたいって思ってるけど、それをやってしまったら、大人げないでしょう?人間関係がうまくいかないでしょう?って思ってしまったりするじゃないですか?

多かれ、少なかれ、自分の想いを閉じ込めたり、我慢したりして、生活している人がほとんどじゃないでょうか?

実は、ついこないだまで、自分自身もそんな状態だったりします。

他人が自分をどう見てるかを気にして生きていると、自分の本当の気持ちがわからなくなってしまったんですよね。

ボクは、元々、感情を殺して生きてきたタイプとは違う

どちらかといえば、剥き出しで生きてきました。

いや、びっくりするぐらい剥き出しだったんですよ。理屈がおかしいものには、 すぐに噛み付いて生きてきました。

でも、なんか剥き出しにして生きていたら、周りから人が、どんどん離れる、離れる。

あれ?おかしいぞ?違和感がでる

おかしいな・・・ということを正論、正義で返してきたことが招いた結果が、人が離れていく・・・という残酷な結果でした。

そして、ボクは、軽い鬱になった

人付き合いってなんだ?

上辺だけ適当に薄っぺらい付き合いが人付き合いなのか?

毎日、毎日悩んだ。本当に悩んで落ち込んだ時期もあります。

で、自分に正直に生きるにはどうすればいいんだろう?って考えました。

で、とりあえず出たのは「大丈夫なふり」をやめる・・・ってこと。

相手の言葉にとても傷ついたとします。

なのに「ん?だいじょうぶ。傷ついてなんかいない」と嘘をつくのをやめたんですね。

今の環境に違和感を感じて苦しかったとします。

なのに「ん?いやいや、みんなこんなものだよ」とごまかすのをやめたんです。

たくさんの「大丈夫」を重ねるうちに、本当の自分は否定されていくんです。

否定された想いは、消したようで消えるわけがないんです。

ずっと本当の自分は見えないところで傷を負っています。

大丈夫なふり、見ないふり、なかったことを、ずっと続けていると本当になくなるわけではないんです。

むしろ、負の想いにしがみついて、絶対に手放さない状態を自ら引き起こしてしまう。

で、大丈夫なふりをやめたらどうなるだろ?ってちょっと実験してみた

「大丈夫じゃない」と正直にそのままの自分を認めることになるわけです。

とても孤独で、みじめで、小さな存在になった気がするかもしれません。

本当は、とても傷ついたんだ。

苦しかったんだ。

イヤだったんだ。

でも大丈夫なんですよね。

その感情を素直に受け入れようって思いました。

そうすると、ずっと否定され続けてきた本当の自分が存在を認められて、やっと自分らしくあれるような気がしてきたんですね。

【こちらも参考に】

「他人にどう見られているか」より「自分がどうしたいか」

大丈夫なふりをやめて、正直な感情に従いだすと、あらゆる判断が他人軸から自分軸に移りだすんです。

今までだったら、こんなことやったら恥ずかしいとか、見下されると真っ先に考えていたことが、自分がよいと思うものは「よしっ!」とGoサインがだせるようになって、だんだん迷いがなくなってくる。

ふだん、ボクたちが考えて発信している文章は、「わたし」が主語になっていますか?

親や家族、子供、上司、彼、友人・・・

まわりのひとが、主語になっていたら注意しないといけません。

「彼らがどう思うか?」ではなくて、「自分はどうしたいか?」を考えて発信してみましょう。

日本では「他人からどう見られているか」を小さいころから必要以上に気にする環境がありますので、意識的に軸を動かすようイメージしてみるといいのかもしれない。

自分に正直に生きるって結局自己中心なんじゃないの?

とはいっても、

「自分のやりたいようにするって単なるわがままじゃないの?」

・・・と思う人もいるんじゃないでしょうか?

みんなが、みんな、好きなことばかりやってたら収集つかないじゃない!?

少なからず、子供のころから和を大事にすることを繰り返し身に付けてきた社会では、自分が原因で「和」が乱れたら大変!人に迷惑をかけることが一番いけないと、親からしつけられてきたのに、それじゃ、まるで自己中心なんじゃないかと思うかもしれない。

では、自分に正直に生きることが「わがまま」にならないひとは?

つぎの質問にも、考えて答えてみるといいかもしれません。

1. あなたがやりたいことは「誠実さ」がどのくらいありますか?

わがままかどうかの分かれ目のひとつは「誠実かどうか」ではないでしょうか?

もちろん自分に。

そして周りのひとに。

たとえば仕事が合わないからといって、

「やめたくなったから明日やめます」って、突然いなくなるのは、周りの人を困らせるわけでわがままと受け取られてもしょうがないじゃないですか?(Facebookでやめます宣言する人をイメージするとわかりやすいかもです。)

それは、単なる自己中心だし周囲にもそう映るでしょう。

自分に正直になるって、自分の気持ちに嘘をつかないということでやりたいことをやりたいようにやる、というのとは違います。

自分に誠実になるのは大前提のうえで、相手に対しても誠実かをきちんと考えることができれば、違和感から解放されて深く納得して生きていくことができてくる。

質問:自分に、そして相手にも誠実な気持ちで接しているだろうか?

2. やりたくないことを続けると自分もまわりも不幸にしませんか?

少し、考えてみてください。

やりたくないことをしているときって、どんな感じでしょう。

・私はこんなことがしたかったのではない。
・心ここにあらず。
・イライラして目の前のことに集中できない。
・自分が情けなくてそれがイライラを倍増させる。

さあ、ちょっと視点を変えて周りのひとになってみてください。

自分はどんなふうに映っていますか?

先日40-50代の中堅サラリーマンがなぜか不機嫌であるという記事を見ました。

自分のやりたいことに素直に従うにはもう若くない年齢。

家族も責任もある立場で「自分の好きなコトをやりたい」なんて口が裂けてもいえない。

そして、私はこうしなければならない、いやこうすべき、という思いにがんじがらめになっている人たち。

まわりにも、そんな上司や同僚がいるかもしれません。

質問:不機嫌な人を見ました。あなたは、どんな気持ちになりますか?

3. 誠実で正直なひとを全力で応援したくなりませんか?

自分がやりたいことに誠実に、正直に従って行動しているなら、あなたは周りに対してとても感謝を抱くでしょう。

真摯に話をして実行すれば、応援してくれるひとは必ずいます。

そして今度は彼らが正直になにかに向かって行動を起こすとき、素直に応援したくなるのは当然のことではないでしょうか?

ボクも正直に生きている、だから周りのひとがイキイキと自分に正直に生きている姿をみると嬉しい。

そんな気持ちになると思うのです。

むしろ、自分が「あなたのために、あなたのせいで続けざるを得ない」そんなエネルギーを発していたら、彼らが好きなことをやろうとしたら必死で妨害するのではないでしょうか?

なぜなら「私はあなたの犠牲になっている」という気持ちが根底にあるから。

「子供や家族がいるから〇〇はできない」この言葉の裏側には「子どもや家族のせいで〇〇はできない」が隠れています。

いい大人が好きだのやりたいことだのできないことは、常識であたりまえだと心の底では思っているから常識を破って自分に正直に生きている人が「わがまま」としか映らないのかもしれないですね。

心の底から子どものため、家族のため、それが幸せに感じるのなら問題ないけれど、とても鬱々としてイライラする気持ちがあるなら、自分と向き合う時間をとってください。

表面上の言葉や気持ちには出てこない本来のあなたの気持ちを直視することで、今の状況は打開することができるかもしれないのです。

質問:自分のこと、まわりに対して、常にどんな感情を抱いています?

自分自身に質問しても答えがでない、堂々めぐりになってしまうことはありません?ボクは、けっこう、堂々巡りになっていたことがあります。

そんなときは、コーチングを利用してみると良いと思いますよ。

だれにでもある思考のクセや、習慣に気づいて、自分がどうなりたいのかが明確になり行動を起こせるようになります。


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