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夜の木のかたわらで。

 長時間露光では、街は超現実の様相をみせる。人工光はスペクトルに忠実に光を溢れさせるので、画面はどうしてもサイケデリックになる。そのためか写真展の際にも内容よりも技法への質問が多かった。いささかそれにはうんざりもしたが、隠し事もないので、撮り方云々にはすべて答えるようにした。
「繁茂」の写真で10分以下の露光時間のものはない。結果として信号機はすべて灯り、あるいは多重露光のタイミングによって赤と青だけとかのものもある。風の日にはそよぐ枝がその流れを教えてくれる。クスノキの根元に座る女性が蹴倒した缶から流れ出つづける液体が時間の経過を物語る。ここでは、動いて行く人や車は、その気配だけを置いて流れ去ってしまう。極彩色の光の中で、留まるもの、動かぬものだけが、その存在感を増して姿を現す。都市の「静」の代表のような木々は「異」であることを宣言するかのように身をよじり、葉をくゆらせて主張していた。
 「Visions of Trees」は夏の盛りのころの展覧会だったが、体調を崩して随分と外出出来なかった友人が、なんて気持ちのいい写真だといってくれた。場所がらかホームレスの人が会場に来て随分と長い時間、渋谷の木を見上げたり、しきりと何かつぶやいていた。それは何気ない感想だったり、暑さをしのぎにエアコンの効いた部屋に来ただけの人かも知れなかったが、僕はそれに感謝した。感謝したというか、同じように異なるもの気づいている人に巡りあったような、あるいは都市空間の異なるものの価値をだれよりも知っている人の感想を聞いたような、そんな気がしたのだった。
 

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