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トイレに行っトイレ
「……ごめん、もう無理かも」
カフェのテラス席で、彩花は申し訳なさそうに目を伏せた。
「え?」
僕、拓也は、目の前のカフェラテが急に味のしない液体になったような気がした。
「もう、拓也とはやっていけない……」
何がいけなかったんだろう。記念日はちゃんと祝ったし、LINEの返信だって早い方だ。サプライズも何度かしたし、デートのプランだって毎回考えてきた。それなのに。
「……好きな人ができたとか?」
「違う。そういうんじゃなくて……」
彩花は言葉を選びながら、ゆっくりと口を開いた。
「拓也って、なんていうか……デリカシーがないの」
「デリカシー?」
「そう。例えば、この前の旅行。私がトイレ行きたいって言ったのに、『もうちょっと我慢できるでしょ』って言ったよね?」
「えっ、だってあの時……」
「あの時、私は本気でピンチだったの! なのに拓也、次のサービスエリアまで30分あるって言って全然止めてくれなくて……もう、あれ以来無理って思った」
思い返せば、確かにあの日、彩花は焦った様子で何度も訴えていた。でも、僕は「あとちょっとで着くから」と流してしまった。
「……そんなことで?」
「そんなこと? そんなことじゃないよ! 私にとっては大問題だったの! 女の子の気持ち、もっと考えてよ!」
カフェのテラス席なのに、僕の心はまるで極寒の吹雪にさらされているようだった。
「もういい、別れよう」
「……そっか」
受け入れるしかなかった。
彩花は席を立ち、僕を一瞥すると、ふと優しい声で言った。
「じゃあ、最後にひとこと」
「なに?」
「トイレに行っトイレ」
僕は思わず吹き出しそうになった。泣きそうなのに、なんだよそのオチ。
でも、もしかしたら彩花なりの優しさだったのかもしれない。