いただきます。・2
バレーボールの漫画『ハイキュー』は、食事のシーンをすごく丁寧に描いている。その印象的なセリフが、この「いただきます。」だ。
アスリートである以上、健康や食事に気を使うのは頷ける。口にしたものだけで、身体はつくられているわけだから。
しかしそれは、アスリート以外である私たちも同様だ。毎日3食、食べたもの飲んだもので身体ができていく。以前からその意識はあったが、最近の暮らしのなかでその大切さと有り難さを強く感じるようになってきた。
昨年末、結婚した。誰かと食卓を共にするということが、豊かであり、文字通り有難いものなのだと尊ぶことが増えた。
基本的に、食事は妻の担当。冷蔵庫にあるものを料理に仕上げるのが上手で、「そうきたか」と驚くが日常風景になっている。妻もそれが楽しいというし、私は妻のクリエイティビティと美味しさを享受できるので、そういう分担になっていったのだ。
そうした「有難い」ことは時に、「当たり前」であること勘違いされてしまいがちである。だから余計に、「いただきます」「ごちそうさま」と手を合わせることで、毎日軌道修正をしているのかもしれない。
身体は口にしたものでしか生成されないが、心は様々な情報によって構築されるものである。美味しい食事をしながら、車を運転しながら、時には膝を突き合わせながら、時を重ねながらふたりの未来について話し合う。未来へ向けての合意形成でもあるこの時間が、僕にとってはかけがえのない心の栄養になっている。
そんなことを、昨夜食事をしながら思ったのでした。
僕の担当はというと、掃除洗濯。「やれば終わる」ことが好きな性分なので、家事って結構気持ちが良い。
「家事は50%ずつ」が2人のルールだが、調理というクリエイティビティやデフォルトで発生する体調の変化を時間以上の価値に換算したとき、「50%ずつ」というのは公平に作用するのだろうか?
そんな疑問を浮かべながら、今日も食器を洗い、拭きあげる。洗濯物を日当たりのいい場所へ移動させる。掃除機をかける。