4次元で捉えると、世界が愛おしくなる。
4次元と聞くと、なんだかスピリチュアルな話になりがちだけど、もうちょっと地に足ついた話をしてみようと思う。
まずは、それぞれの定義を整理してみる。
4次元は3次元の対象(立体)をそれと独立の方向(視覚による知覚はできない)に並べてできると考えられる。4つ目の"方向"として時間軸を取れば、3次元の対象を連続移動するときの軌跡を4次元と考えることができる。
僕らが生きているのが3次元なのは知ってると思うけど、それが連続している状態を「神の視点」で捉えるとそれは4次元だって話な訳だ。野球の変化球をスローモーションでみるときの映像に近いイメージかな。あとは金太郎飴みたいな。
そう考えると、普段僕らもモノゴトを4次元で認識してるよね。「あの人前にこう言ってた」とか「桜が咲いてきたね」とか。これもまさに3次元の世界に時間という軸を加えて認識してるわけで。
つまり4次元というのは、モノゴトの過去と未来を認識するってとこ。そして、過去と未来は必ずしも繋がってはいないことにも気付く。過去Aの先にある今A。そして、このnoteを読んだ後の未来A。今Aからすると、このnoteを読んでいない未来Bも有り得たわけ。パラレルワールドってやつかな。バタフライエフェクトなんかもこの考え方だね。
そしてそして、過去Aは「過去過去Aにとっての未来A」であるわけだから、同様に「過去過去Aにとっての未来B」も有り得た。そうなると、その世界線には今Aは存在しない。
過去-今-未来の分岐が何によってなされるのかは自分の認識次第だけど、この瞬間が「今A」であることが奇跡的な確率の末だってことはわかると思う。僕らはそんなにも尊くて、かけがえのない存在だし、未来は今の僕らに委ねられてると言っても過言ではないはず。
いまそこにあなたが存在すること。
こんな奇跡みたいな話なかなかないって、月並みな話です。僕の好きな「日々是好日」って言葉の考え方に近いのですが、それはまた今度。
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