あいつらの事を「最初から優秀」なんやと思う事は 勝負するまでも無く負けとるちゅう事やし 失礼やと思うねん

ある日、「母親ってすごいよね」という話になった。

そしたら話し相手から「手放しで褒めるのは失礼だよ。毎回、ちゃんとすごいんだよ。」と言われて、北さんのこのセリフを思い出しました。

はい。。。

褒める側に悪気は一切ないのだけれど、同時に想像力も欠いてしまっていることが多いのかもしれませんね。「すごい」ことは理解しつつも、「なぜすごいのか?」「どれだけの努力と工夫をしているのか?」そこに対する想像を欠いたままでは、敬意とは呼べないのだと思います。

ぼくも仕事柄、たまに「すごい」と言われることがある。悪い気はしないけど、対話ができてる感じがしないし、それ以上会話を広げることもしたくなくなるので、そういうことなんでしょうね。

人間は脳の負荷を下げるためにあらゆるものを記号化して認識し、意思疎通していくわけですが、その認識を共有する前に、「なにをどこまで理解しているのか」という前提を共有することが重要なのではないでしょうか。

その前提をすでに共有できている相手とだけ、記号化された円滑なコミュニーションが行えるわけで。

だからこそ、一緒に生きる相手とは、価値観や言語の擦り合わせの期間が必要なのかもね。

ファストな発信とチープな交流が「できる」ようになってしまった現代だからこそ、相対的にその価値も難しさも増してきている気がします。

なんてね。

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