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喉から血ぃ出ても 走りたくてしゃあない 奴らやねん


ヘラルボニーの『異彩を、放て。』を読んで、このシーンを思い出した。

結局、こういう衝動があるかないかだけだと思うんですよね。中学生の頃、モンハンで徹夜してたあの感覚や、高校の頃にハンドボールに夢中になってたあの感覚。それが、いまの僕にとっては猫である。ただそれだけなんですよね。(特に仲間と何かする時の楽しさは、一度味わうと忘れられないね)

どんなビジョンを持っているのか?が大切だと最近学びました。自分が目指す未来が、どんな未来か?「保護猫活動の自続性」って具体的にどんな景色なの?そのためにお金がいくら必要で、どんな方法で入ってくるお金なら"持続的"だって言えるの?その質問に、絵を見ながら答えられるようにならないとだめ。年末年始はそんな時間にしようかな。

だから最近は"遊び"すぎて体調を思いっきり崩したので、遊び加減はそろそろ学ばないとと思う一方で、「全力で遊ぶこと」自体に迷いは持ったらダメだと思う年末です。

さて、今週もゼーハー言いながら走り切りましょうかね!

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