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ねこのフリーペーパーを制るまでのあれこれ -ieji-

今回のクラウドファンディングも達成率90%を越え、いよいよ佳境を迎えつつあるので、『さとねこたより』を発行するに至った経緯を、改めて整理したいと思います。

話は少し遡り、2017年。大学生だった僕は「保護ねこ文化を普及させるためには、デジタルで情報拡散するのがベストだ!」と、インターネット専業の広告代理店に新卒で入社しました。ところが、経済の構造やお金の動き、マーケティングのいろはを学ぶうちに、その考えは少しずつ変わっていきます。

その一番のきっかけになったのは、『もとすみマニアックスず。』(元住吉育ちの女子3人ユニット「マニアックず。」が展開するフリーマガジン)を貰うためにお邪魔した、ヒガコプレイスの『家族の文化祭』でした。イベントの帰り、「あれ?自分のやりたい"文化の普及"には、こういうリアルなコミュニケーションが必要なんじゃないか...?」ってモヤモヤが色濃く残っていたのをいまでもよく覚えています。いま思うと、そこで感じた情報の温度や発信者との近さが、ただ心地よかったんだと思います。そして、ドタバタしながらも楽しそうな「マニアックスず。」のメンバーが羨ましかったんですきっと。

「とりあえず真似してみるか。」

"良いものは真似してみるのが一番"という持論のもと、フリーペーパーを制る方向で妄想を膨らませ始めました。いろんな人に壁打ちしながら、あーでもないこーでもないを繰り返してたある日友人が、「私、フリーペーパー手伝うよ」と言ってきました。かなり急に。それが、副編集長の有賀みずき(当時は山川みずき)。

そこから話がぽんぽんと進み、編集チームが結成。0号の制作に取り掛かります。4人で仕事終わりに集まって、にゃ太郎やミミ子を生み出し、誌面のコンテンツやインタビューの内容などを擦り合わせていきました。

制作が少しずつ進む中で、ふと、「これ自分でも配りたいな。配る場所欲しいな。よし、つくるか。」と思い立ったのがこちら。もともとは、『さとねこたより』を配るために考え出したものでした。

モヤモヤを言語化する

制作は走り出したものの、あの時感じたモヤモヤはそのままでした。そのままにしておくと、なんのストーリーもないフリーペーパーになってしまうから、なぜフリーペーパーという媒体に固執したのかを自分なりに言語化していきました。

①”リアルのほうがデジタルより効果的”だという仮説
「情報拡散がベストアンサー!」と意気込んでいた頃に比べると、消費者の行動ファネルというものを少し理解し始めていた頃でした。なので、「機械的な「認知」だけでは理解や共感は生めない。もっと丁寧に情報を伝えたほうがよくない?」と思いつきます。あとは、"丁寧"って表現には、デジタルでの情報発信よりリアルでの情報伝達のほうがマッチするよね!という安直な考えです。

②"パーソナライズド"を逆説的に捉えてみる
インターネット上には情報の海が広がってる。だから、機械が個人に合わせて適切な(好きそうな)情報をオススメしてくれる機能が普及しました。そうすると段々、好きな情報にしか触れなくなってくる。これを俗に”パーソナライズド”なんて呼ぶわけですが、これは、「保護ねこのことを知らない/興味ない人に保護ねこのことを知ってもらいたい」僕にとっては、不都合だったんです。どれだけ良いものをつくっても埋もれてしまうのなら、いっそその土俵から飛び出せばいい、そう考えました。

いずれも、デジタルの広告会社にいたからこそ、デジタルシフトの最先端の流れを穿った目で見ることが出来ていたんだと思います。デジタルネイティブだからこそ、いまを「普通」と捉えて考えることができるんだと思います。単に「情報化社会すげー。めっちゃユーザーのためになるじゃん。」って飲み込んでいたら、『さとねこたより』は頓挫していました。”疑い過ぎるのは良くないけど、信じ過ぎるのも同じくらい悪い”というもの、当時の部長の教えです。

”モノ”が独り歩きしやすい時代

「モノをつくれば勝手に独り歩きしてくれるよ」副編集長の言葉でした。「無責任な」と当初は思っていたのですが、「『さとねこたより』の人ですか?」って見知らぬ人から言われた時、ほんとのことだと気づきました。聞くと、0号を置かせてもらっているお店で一時期話題になったらしく、友人に勧められて手に取ったのだとか。嬉しかったなぁ。

インターネット上に情報が溢れているからこそ、紙の情報の希少価値って上がってるって思いませんか?"スカイプ飲み"ができるこの時代に汚い居酒屋に集まったり、電話会議より直接顔を合わせる打ち合わせの方がスムーズだったり。便利になったからといって、"不便"が不要になったわけじゃない。

むしろ、デジタル化によってあらゆるモノゴトが効率化されるようになったからこそ、アナログに時間や労力を割くことの価値は上がってきているはずです。それはきっと情報媒体にも同じことが言えるはず。"敢えて紙の情報を手に取る"状況さえつくれてしまえば、その情報は受け取り手のなかで一定の価値になる。もし深く刺されば、「いつも通り」シェアまでしてくれる。

尖らせた結果のフリーペーパー

なんかそれっぽく書いてみましたが、最後に「結局なんでフリーペーパーなの?」という疑問にお答えします。

①メッセージを「手渡し」できるから
メールやSNSを使えば、伝えたいことをより多くの人により速く伝えることができます。しかしその方法では、その裏に隠された「想い」や「熱」を伝えることは簡単じゃない。フリーペーパーは、顔を合わせて直接渡すことができます。手に取ってもらう状況を選ぶことができます。そうすれば、丁寧に「想い」を伝えられるし、そうして初めて「熱」は伝播するものだと考えます。デジタルが発達した社会だからこそ、逆に「手に取れる」情報の価値が上がってきていると思います。

②受け取った人のもとに情報が物理的に「留まる」から
インターネットが普及したこの社会には、知りたい情報も知りたくない情報も溢れています。保護ねこの話題というのは、世間一般の人からすれば「知りたくない情報」の部類。命のことを扱う重い話題なので当然です。普段ならすぐに流れていってしまう情報を、手元に置いておけるカタチ、置いておきたくなるデザインで届けることで、受け取り手にメッセージを「留める」ことができると考えました。

クラファンページの引用なので、一部重複する意見はありますが、これがいまの僕がフリーペーパーを発行する理由です。

少しでも共感戴けたら、ぜひ以下のページも覗いてみてください。

それではこのへんで。


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