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俺は"ただ凄い"んだ!!


”ただ凄い”というこの表現。どんなハンディキャップがあっても、”なのに”じゃない。これが星海の根底にあるマインドセットですね。

”なのに”が枕詞についた瞬間に、”凄い”という表現の意味がなくなる。”凄い”基準が平等じゃなくなるから。

これは、僕にも言えることだな。「保護猫”なのに”」とか、ないから。そこにいるのは”ただの猫”であって、そこに”保護猫”も”ペットショップ”も関係ない。そんなことは誰でもわかってるはずなのに、レッテルを貼りたがるからね。

「保護猫団体”なのに”」もまさにそう。関係ない。そこで活動するのは”ただの猫好き”でしかなくて、だから尊いんだ。だからその活動が長続きするべきなんだ。存在(および自然発生する挙動)だけで尊いはずなのに、社会的な立場が弱い。そのせいで思うように猫を救えない。そんな不公平を看過すべきじゃないですよね。

だから、僕は仕事をしています。

”なにか”を言語化して切り分けることで、”なに”と”なに以外”が生まれる。”なに”が生まれたことで初めて、その”なに”との協力の仕方、”なに”のあるべき姿を夢想できるはず。

”ただ凄い”という表現には、社会ダーウィニズムのような価値観が通底しているようにも思う。自由競争主義というか、平等を前提にしている。そこに公平性はないんじゃなかろうか。

強くあろうとする者の意見でありつつ、それは”強者である権利”を持ち合わせている「強者の理論」でもあるわけです。

ハイキュー!!!では自由と強さの関係性がよく語られているけど、それは同時に、弱さの証明でもあったりして。

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