「内部留保」の歴史
この記事は、blanknoteさんが企画してくださった会計系 Advent Calendar 2024 20日目の記事です。
blanknoteさん、企画ありがとうございます!
「内部留保」。世間一般でもSNSでも時々話題になる言葉です。
直近ですと、2023年度末の内部留保が600兆円を超えて過去最高になったというニュースがありました。
このようなニュースが出ると、Twitter(現𝕏)では「大企業は内部留保を溜め込んでいてけしからん!賃上げに回すべきだ!内部留保にも課税せよ!」といった投稿が拡散され、それに対して会計クラスタや金融クラスタなどの面々が「内部留保は現預金ではなくて~」といった反論をしてレスバトルになるというところまでがお決まりの流れです。よく荒れるので迂闊に手を出さない方がいい話題かもしれません。
「内部留保」という言葉は中々に厄介で、そもそも定まった定義がありません。といっても概ね貸借対照表上の利益剰余金を指していることが多いので世間一般で「内部留保」という言葉を聞いたら利益剰余金のことだと思ってよいのですが、一方で先述のニュースの出典となっている財務省の「法人企業統計調査」では以下のような定義がなされています。
会計的には利益剰余金に加えて各種引当金・準備金等を加えた額ということで、どうしてこうなったという感じの中々ややこしい定義です。
また、冒頭で取り上げた時事通信の記事では、内部留保の定義を『企業の利益から税金や配当を差し引いた「内部留保(利益剰余金)」』としていますが、これは出典元の「法人企業統計調査」の「内部留保」の定義とは異なります(ただし600兆円という数字は「法人企業統計調査」上の「利益剰余金」から引っ張ってきているので、一応記事内での整合性は取れています)。
定義がぐらぐら揺れる用語でまともな議論ができるわけもなく、「内部留保」という言葉は体よく大企業批判に使われている感が否めません。
内部留保とは
「内部留保(利益剰余金)」とは、企業が過去に計上した利益数値の累積値から株主に配当されてきた金額を差し引いたものです。
基本的に積みあがっていくものなので「今年の内部留保が過去最高」になるのはおかしなことではありませんし、稼いだ利益は設備投資、事業投資等々に回していますのでそれだけのお金を持っているわけでもないため、「内部留保」=企業の蓄財ではありません。
「内部留保」があるからといって企業に賃上げの余力がある、といった議論は成り立ちませんし、そもそも不当な蓄財の有無や賃上げ余力を分析したいのであれば現預金残高や人件費等を見ればよいのであって、「内部留保」の数値を用いてこうした議論を行うのはナンセンスです(ただし「株主への配当が過小である」といった議論はあります)。
この記事では「内部留保(利益剰余金)」自体の解説にこれ以上深く立ち入ることはしませんが、このあたりは以下のblancoさんの一連のポストで非常にわかりやすくまとめられています。そもそも内部留保ってなに?という方は、こちらを一読されることをお勧めします。
前置きが長くなってしまいました。それでは「内部留保」の歴史を覗いてみましょう。
①戦前・戦中の「内部留保」
最古の「内部留保」
「内部留保」という用語はいつから使われはじめたのでしょうか。
国立国会図書館には日本で出版されたありとあらゆる書籍や論文、新聞記事等が所蔵されており、申請すれば自由に閲覧することができます。国立国会図書館デジタルコレクションでは膨大な数の書籍や論文等を読むことができ、大手新聞各社は記事のアーカイブを検索できるサービスを提供しています。
これらを活用することで「内部留保」という言葉がいつ頃から、どのようにして使われてきたのかを調べることができます。
※新聞各社のアーカイブは有料サービスですが、国会図書館内のPCを使うと無料で利用することができます。
確認できた「内部留保」の最古の用例は、1929年に刊行された佐久間長次郎著「銀行業態の研究」でした。以下、該当箇所を引用します。
払込資本が増加すると配当も増えるので、会社の規模が大きくなったとしても結局配当後に残る利益額は大して増えないということが解説されています。
翌1930年の王金海著「有価証券信託論」でも「内部留保」が使われています。
信託の処分利益について論じている文脈で、一般企業における利益と株価の関係を例として挙げている部分です。
また、驚くべきことに1931年、1932年に発行された大阪毎日新聞社・東京日日新聞社による「現代述語辞典」「最新経済語辞典」には「内部留保」の項目があります。
辞典ものにも載っているということは、この時点で「内部留保」という語は経済界ではある程度一般的なものだったのかもしれません。
これらのデジタルアーカイブでの用語検索はOCRが用いられており、実際には使われている言葉がヒットしないことが多々あります(古い書籍は印刷が潰れていたりしますし)。そのため上記の例以前にも「内部留保」が使われていた書籍・記事はそれなりにあったものと思われます。
ところで、上述の「最新経済語辞典」では内部留保は『「社内留保」ともいう』と書かれています。
そこで「社内留保」の用例を調べてみると、最古のものはなんと1915年(大正4年)10月のダイヤモンド社『経済雑誌 10月号』でした。
決算の利益数値を示す表中で、社外分配(株主配当金・役員賞与金)と対になる形で使われています(というかダイヤモンド社ってこの頃からあったのですね……)。
また興味深い資料として、日中戦争下の1941年7月、第2次近衛内閣で閣議決定された「財政金融基本方策要綱」にも「内部留保」についての言及があります。
この要綱は戦時体制における財政金融政策の基礎を定めたものです。戦時経済においてどのようにして統制を行い資金を確保するかといった方針を定める文脈で使用されています。
この他にも戦前・戦中期の書籍に「内部留保」の用例は多くあり、案外この当時からメジャーな用語だったのかもしれません。
「内部留保」の語義の変遷
さて読者諸賢は既にお気づきでしょうが、上記で挙げた「内部留保」の用例はいずれも「利益剰余金」を意味するものではありません。過去の利益の蓄積を表すストックの概念ではなく、単年度の利益に紐づいたフローの概念として用いられています。あえて定義するとすれば「毎期の最終利益から配当に回った額を除いたもの」となるでしょうか。
本記事では以下、このような単年度決算に紐づくような「内部留保」の用例を「フローとしての内部留保」、今日用いられるような利益剰余金(過去の利益数値の累積から株主配当の累積を除いた額)、あるいはそれに引当金等を加味した累積額を表す用例を「ストックとしての内部留保」と呼ぶことにします。
筆者は今回、記事の作成にあたり参照した書籍や新聞記事等で「内部留保」という語がどのような定義・文脈で用いられているかをスプレッドシートにまとめました。
これをみると、1970年代頃までは「フローとしての内部留保」の用例が優勢である一方、1950年代ごろから徐々に「ストックとしての内部留保」の例もみられるようになり、ここ30年ほどではほぼすべての用例が「ストックとしての内部留保」となっています。
(あくまで個人の趣味で調べたものですので、網羅的な母集団から適切にサンプリングを行ったものでない点はご容赦ください。概ねこのような傾向がみられるということです。)
また文脈としても戦中期までは「内部留保」を否定的に捉えるものは皆無で、筆者が参照した限りでは単に利益処分項目の1つとして捉えているか、企業経営のために確保すべきものとして肯定的に捉えているものばかりでした。
【まとめ】
戦前・戦中期においては「内部留保」概念はある程度確立していたものの「フローとしての内部留保」の用例ほとんどで、現代において一般的に用いられているものとは意味が異なっている
「内部留保」は単に残余利益という意味で捉えられており、否定的に捉える論調は皆無だった
②戦後~高度経済成長期の「内部留保」
戦後、日本は荒廃した状態からハイパーインフレ、西側諸国の支援、朝鮮特需を経て高度経済成長に入ります。労働運動が活発になり、戦前戦中とは社会の様相が大きく変わります。
一方で、社会の動きと連動するかのように「内部留保」も徐々に異なる顔を見せるようになります。今日における「内部留保」の語義の混乱や誤解の種は、概ねこの時期に蒔かれたといってよいでしょう。
拡大する語義
戦後、「内部留保」の用語は徐々に様々な文脈で使用されるようになります。「フローとしての内部留保」としての用例が優勢ではあるものの、「ストックとしての内部留保」の文脈で用いられていると思われるもの、用法が曖昧なものなどが増えていきます。
『国民経済』1947年7月号では、猛烈なインフレに直面する中で企業が直面する事象が解説されています。これは「フローとしての内部留保」の用例です。
一方で徐々に意味が揺れ、また拡大していく例も出てきます。
以下の引用は、アメリカによる対日援助が打ち切られた後どのように経済を自立させていくかを検討している文脈です。
これは文脈からして「ストックとしての内部留保」を意図していると思われますが、「ストックとしての内部留保」の用例で筆者が見つけた中で最古のものです。
※先述の理由により、これより古いものがある可能性は大いにあります。
そして、「内部留保」の意味が曖昧なものも出てきます。
この用例では内部留保に『減価償却とか積立金』を含めており、意味がかなり広くなっています。減価償却とあるので「フローとしての内部留保」を指しているのかと思えば「非常時の資産」とも記載されており、「フローとしての内部留保」なのか「ストックとしての内部留保」なのかが曖昧というか、おそらく記者もよくわからないまま書いていたのでしょう。
毎日新聞の1963年の記事では「内部留保」を以下のように定義しています。概ね「フローとしての内部留保」を指していると思われますが、一方で後段の後半部分は「ストックとしての内部留保」と解した方が素直に読めます。
毎日新聞のこの記事では、「内部留保」は概ね肯定的なものとして紹介されていることが読み取れます。少なくとも否定的な要素は見当たりません。
内部留保批判の萌芽
さて、戦後すぐは経済が非常に不安定で、国としても戦後復興のために企業が安定した財政基盤を固め、積極的に設備投資を行うように誘導していました。
1951年の税制改革により特別償却が導入され、またインフレにより時価に比べて著しく簿価が下がった固定資産については再評価(益金不算入)を行い、「適正な」減価償却費を計上できるようにしました。
その他、貸倒引当金や退職給与引当金(現在の退職給付引当金)が導入されたのもこの頃です。
これらの法人に対する税制優遇策は企業の内部留保を促進し、経営基盤を安定させ、設備投資を推進させることを意図するものでした。
こうした中で、共産党の機関紙『前衛』に以下の論文が掲載されます。
『各種の内部留保などのかくされた利潤』というのはこれだけでは何を指しているのか判然としませんが、おそらく最終利益の他の各種積立金や引当金の繰入等が念頭に置かれているものと思われます。「フローとしての内部留保」を拡張した用例です。
共産党は現在に至るまで内部留保批判を行っていますが、戦後10年と少しが経過した時点からこのような論調であったところをみるとかなり伝統のある批判のようです。
さてこの内部留保批判ですが、今日のそれとは似て非なるものでもあります。引用部分の前後を含めた文意を要約すると概ね以下のようになります。
企業が公表している利益は実態と大きく乖離しており、隠れた利益が大きい
その分労働者階級が搾取されている
この時期には、特別償却や高率の減価償却、再評価に伴う償却費の増加や各種引当金等々が導入されており、戦前と比べて企業利益の実態が見えにくくなっていたことは確かです。
また今日よくいわれるような「ストックとしての内部留保」があるのだから賃上げを行うべきだ、といった主張は理解に苦しむものですが、「フローとしての内部留保」が過剰だから賃上げをすべきだ、という主張は筋が通ります。労働者の政党である共産党の主張としては真っ当です。
「大企業の内部留保が過剰であり、勤労者が搾取されている」という議論はこれ以前にもわずかながらみられますが(例:有沢広巳・中村隆英(1955)「国民所得(日本統計研究所経済分析シリーズ第1)」中央経済社)、いずれにしてもこの頃から内部留保批判がはじまったといえるでしょう。
1961年の共産党の『政治宣伝資料』では以下のような記述があります。
先述の共産党機関紙『前衛』にもその後度々内部留保批判の論文が掲載されており、この頃には党の主張として定着していたといってよいでしょう。
この文脈では「ストックとしての内部留保」として用いられていますが、『内部留保(蓄積)』とわざわざストックであることを明確にするかっこ書きが付されています。「ストックとしての内部留保」の用例が一般的でなかった証左でしょう。
【まとめ】
戦後~高度経済成長期は「フローとしての内部留保」としての使い方が優勢だった
一方で「ストックとしての内部留保」としての用例も見られるほか、減価償却費や積立金の繰入額も含めるなど語義を拡張した例もみられる
内部留保批判が起こるが、当初は「フローとしての内部留保」に対する批判だった
③「内部留保分析」の隆盛
「内部留保分析」の登場
戦後すぐの時期は企業会計原則の制定や証券取引法の成立、先述の税制改革等、今日の資本市場の基礎となるさまざまな法令・制度が整備されました。
そんな中、1950年代~70年代頃にはこうした会計制度や主流派の会計学を、マルクス主義を基礎として批判的に検討する「批判会計学」の学派が一定の影響力を持っていた時期がありました。
高度経済成長期の末期になると、批判会計学の中で「内部留保分析」の議論が登場します。
先述のように企業利益の実態が見えにくい状態だったところにオイルショックによる不況に突入したことで、大企業による「利益蓄積」に批判が集まるようになったのです。
内部留保分析の初期のものとして、法政大学の角瀬保雄教授(当時)による「現代公表会計制度論」に以下のような用例があります。
この本には他にもいくつかの「内部留保」の用例がありますが、全体としてストック・フローどちらにも解せる書き方をされており、「残余利益を配当・分配せず内部に留保する」という文字通りの意味で「内部留保」が使われているようにみえます。
さて上記の引用からもわかるように、角瀬教授は内部留保批判の文脈で「内部留保」を用いています。同書の別の箇所を見てみましょう。
前章の『前衛』でみたような、「フローとしての内部留保」を拡張した用例で、「企業は公表数値よりも多くの利益をあげている」といった議論です。大企業は賃金を上げようにも金がないというが実際は儲けているじゃないか、というわけですね。
1974年の毎日新聞ではまた「内部留保」の定義がなされていますが、前章でみた11年前(1963年)の記事とは打って変わって否定的な書きぶりが見て取れます。
なお、語義自体は「フローとしての内部留保」で書かれています。
語義の混乱
この内部留保分析は1970年代に活況を呈しました。いくつか用例を紹介します。
京都大学の野村秀和助教授(当時、のちに教授)の『現代の企業分析(青木現代叢書)』では、「広義の内部留保」「狭義の内部留保」の概念が定義されています。
『内部留保繰入額』という言葉からもわかるように、これらは「ストックとしての内部留保」として用いられています。
「内部留保」がストックなのかフローなのか曖昧になっていたところに、「狭義の内部留保」「広義の内部留保」まで登場してしまい、言葉は同じでも論者によって意味が違うという状況に陥っています。
さすがにこれはまずいとなったのか、先の角瀬教授が「大企業の利潤と蓄積ー公表会計数値による分析的研究」にて以下のような表を提示し、内部留保概念の整理を図る有様です。
なお、この表では「ストックとしての内部留保」を前提として整理されています(おまけ①)。
※一次資料の「大企業の利潤と蓄積」が掲載された『経営志林』が参照できないため、野村教授の「内部留保分析批判」より孫引きを行っています。
ところでこのように、利益剰余金の他に諸引当金、準備金を加えた「内部留保」の定義は見覚えがありませんでしょうか。
そう、冒頭でご紹介した財務省の法人企業統計調査です。
今日の一般的な用例からみると「なんでこんなに複雑な定義をしているんだ?」と思ってしまっていましたが、「内部留保」の歴史を紐解くとむしろ伝統あるものだったのです。
そもそも「内部留保」を利益剰余金と定義するのであれば最初から利益剰余金と言えばいいわけで、法人企業統計調査でわざわざ「内部留保」という語を用いているのは「広義の内部留保」を表したいという意図があるのかもしれません(おまけ②)。
こうした内部留保批判の主張を要約すると概ね以下の2点に集約されます。これも今日の内部留保批判とは似て非なるものです。
企業は公表している利益数値以上に儲けている
こうした隠れ利益は「賃上げ余力がない」という方便に使われており、労働者への搾取につながっている
当時は税制改正による減価償却率の高率化や諸引当金の導入等により実態利益が見えにくくなっていました。また会計・監査制度が未成熟で、経営者による利益操作の余地が今よりもはるかに大きい時代だったこともあり、こうした批判も一定の説得力があったといえるでしょう。
このように内部留保批判が盛り上がるなか、1975年の生産性本部による「労使関係白書」では内部留保の取り崩しについて言及されています。
当時はオイルショックによる不況期であり、一時的に赤字になったとしても雇用を守るべきという趣旨で、特に違和感のある主張ではありません。
本章では内部留保批判を中心に取り上げましたが、それ以外の文脈でも「内部留保」の用例は見られます。
東京大学の諸井勝之助教授(当時)は「内部留保」に関する開示がなされるべきと論じています。文脈的には「フローとしての内部留保」としての用例で、各種引当金や積立金の繰入額を含まない「狭義の内部留保」です。
【まとめ】
高度経済成長期の末期に「内部留保分析」が登場する
「企業の隠れ利益」を明らかにしていく研究であり、今日広くみられる内部留保批判とは異なるもの
「内部留保」の言葉はフロー・ストックの両方で用いられるようになっており、その射程も単に利益剰余金を表すものから諸引当金・準備金まで含むものまで様々になる
④平成不況期以降の展開
内部留保批判の大衆化
さてバブルが崩壊し、平成不況の時代に突入します。
この頃になると「内部留保」を取り崩して賃上げの原資に充てるべき、という主張がみられるようになります。
これは「ストックとしての内部留保」の用例です。記事の後段には内部留保の内訳として『退職給与引当金、長期負債性引当金、資本準備金、任意積立金』が挙げられており、広義の内部留保を指していることがわかります。
内部留保の2.4%を取り崩して賃上げへ、というのはかなり筋が悪い話なのですが、一方でこれは今日よく見られるような議論でもあります。
筆者が記事を辿った限りだとこの頃からこの手の内部留保批判がはじまっているようです。
上記は労働組合の主張を記事にしたものですが、一方で新聞社自体の主張には冷静なものもみられます。
「内部留保」の意味が定かではない点、その取り崩しが現実的ではない点などを的確に指摘しています。
「内部留保」を取り崩して賃上げに充てるとすれば企業が持つ各種資産を現金化する必要があるわけですが、当時は株価も不動産価格も暴落していたため含み損を抱え、現金化が困難な企業も多かったことでしょう。
ところで、1990年代以降は「フローとしての内部留保」の用例はほぼ見られなくなります。内部留保論がさかんに展開されるようになるにつれ、「内部留保」は完全に「ストックとしての内部留保」を指す言葉に置き換わっていったのです。
1994年の毎日新聞では「内部留保」の用語解説が掲載されていますが、前章・前々章でみたものと異なり「ストックとしての内部留保」として定義されています。ここまで定義がコロコロ変わる単語も珍しいのではないでしょうか。
ストックであれフローであれ狭義であれ広義であれ『企業に留保される金』という定義は明確に誤りです。この時期には「内部留保批判」がかなりいい加減なものになっていたことがわかります。
このように「内部留保(利益剰余金)」と現預金残高を同一視するような誤解に基づく、あるいは誤解をミスリードするような主張は長い平成不況を通して度々みられるようになります。
労働団体を中心にマスメディアも同様の論陣を張るようになり、今日の状況につながります。
直近でも以下のように、明らかに内部留保に対する誤解に基づくような論説がみられます。
一方、前章でみたような批判会計学派による内部留保分析、内部留保批判は近年でもわずかにみられるものの、かつてのような盛り上がりはありません。
2000年代前後の会計ビッグバンによる会計・監査制度の整備と現在に至るまで続く会計基準・会計監査の厳格化により経営者の利益操作の余地は大幅に減りました。
各種引当金の計上も定着してむしろ引当金が過小であれば粉飾決算とみられるようになっており、かつてのように「隠れ利益」とみるような向きありません。
こうした状況で、「隠れ利益」を暴き企業利益の実態を明らかにしようとする内部留保分析が退潮したのは、自然の流れだったのでしょう。
【まとめ】
バブル崩壊後から今日みられるような内部留保批判がみられるようになる
「内部留保」と現預金残高を同一視するような誤解が広がる
一方、学問としての内部留保分析は退潮した
まとめ
「内部留保」の語義と批判の変遷
「内部留保」の語義の変遷は、概ね以下のようにまとめられます。
①戦前・戦中期
単年度利益から配当等に回る分を除いた額を指すのみ(「フローとしての内部留保」)。
②戦後~高度経済成長期
「フローとしての内部留保」が優勢ではあるものの、徐々に用例が曖昧なものや「ストックとしての内部留保」もみられるようになる。
語義も拡大し、各種準備金や引当金も含むような例も現れる。
③高度経済成長期末期~バブル期
「ストックとしての内部留保」が優勢なものの、「フローとしての内部留保」の例もみられる。
各種準備金や引当金も含む用例が増加する。
④バブル崩壊後
「ストックとしての内部留保」で定着する。
語義は単純に利益剰余金を指すものが多くなり、一部には各種準備金や引当金も含む用例もみられる。
こうした「内部留保」の語義の変遷は、内部留保批判の変遷と通ずるものがあります。内部留保批判の変遷も整理してみましょう。
①戦前・戦中期
内部留保批判の議論はみられない。
②戦後~高度経済成長期
「フローとしての内部留保」に対する批判として内部留保批判が現れた。
企業が労働者から搾取して利益を出しているというもの。
③高度経済成長期末期~バブル期
批判会計学派による内部留保分析が盛んになる。
当時会計・監査制度が未成熟だったことで見えにくくなっていた企業の利益の実態を明らかにしようというもの。
④バブル崩壊後
「内部留保」を現預金残高と同一視するような誤解・ミスリーディングに基づく内部留保批判が大衆化する。
一方で会計・監査制度が成熟し厳格化されるにつれ、かつてのような内部留保批判は影をひそめる。
このようにしてみると、内部留保批判自体は戦後すぐからあるものの、その内実は大きく変わっています。
当初は真っ当で説得力があった議論が、語義が変化しているにもかかわらずその認識がないまま批判だけが継続されているという、なんとも奇妙な状態です。
また2000年代以降には「日本企業は配当が少なく、資本効率が悪い」という文脈での内部留保批判も増えましたが、これも内部留保に関する議論が混乱する一因になっているでしょう(この批判自体は真っ当な指摘です)。
語義はなぜ変わったのか
これまでみてきたように、「内部留保」は戦前は「フローとしての内部留保」を指すものだったのが、近年では「ストックとしての内部留保」で定着しています。
なぜこのような語義の変遷が生じたのでしょうか。筆者は主に以下の3つの理由があると考えます。
「内部留保」という文言が法律や基準にはなく、語義が厳密に定められていなかった
「内部留保」の字句そのものはフロー・ストックどちらで使用しても不自然でない
「内部留保」を批判するにあたり、「ストックとしての内部留保」を批判した方が金額が大きくインパクトがある
一点目について、もし「内部留保」が法律や会計基準等に明文されるような言葉であれば定義が確定しており、今日のような混乱は生じていなかったでしょう。
二点目について、1950年代から「内部留保」を文字通り「利益を内部に留保する」という文脈で使用し、フロー・ストックどちらの意味かが明らかでない用例が増加していました。
その後「ストックとしての内部留保」の用例が優勢になったという流れがあり、字句そのものがどちらともとれるものであったことも語義が変化した大きな原因と考えられます。
三点目について、当然ですが「フローとしての内部留保」よりも「ストックとしての内部留保」の方が遥かに金額が大きいため、「ストックとしての内部留保」を批判した方がセンセーショナルな印象を与えることができます。
やはり「大企業が600兆円も溜め込んでいる!」という主張は大きなインパクトがあります。
誤解はなぜ起きるのか
では、「内部留保」が現預金であるかのような誤解はなぜ起きるのでしょうか。
「内部留保」という言葉を字句通りに解釈すると「企業が内部にお金を溜め込んでいる」というニュアンスで読めてしまうこと、「利益剰余金」の概念が簿記未修者にとっては理解が難しいことが大きな原因であるように思えます。
法政大学の川島健司教授は、「内部留保の説明に関する一考察 ー「内部留保=現金保有高」という誤解はなぜ生まれ、いかに払拭できるかー」にて、3つの要因を分析しています。
こうした要因に加え、「大企業がお金を溜め込んでいる」というさまはイメージが非常に容易であり、大企業批判の理由として使い勝手がいいことも、ここまで内部留保批判が大衆化し誤解が広まった原因の一つかもしれません。
「かつては意義のあった議論が、議論の主題となっている言葉の意味が変化して中身がないものになっているにもかかわらず数十年にわたり継続され、むしろ大衆化して広く展開されるようになっている」という現象自体は極めて興味深いものです。
他の分野でも同様の現象があったりするのでしょうか。
おわりに
今回は「内部留保」の歴史について深掘りしてみました。いかがでしたか?
念の為に付け加えますと、筆者は労働者や中小企業への搾取に関する議論自体に否定的なわけではありません。
あくまでこうした議論に内部留保を持ち出すのが不適切であるという話で、論じるのであれば現預金残高や人件費、従業員数や役員報酬等を分析する方が遥かに有用です。
開示情報が充実している現代においてわざわざ内部留保を用いてこれらの議論を行うのは迂遠な手法である上に、企業の実態について誤った認識を拡散しており、余計な議論を生んで主張自体の正当性に疑問符がついてしまう点で有害ですらあります。
さて、この記事を書いた発端はTwitterで「内部留保」の話題が盛り上がっているのをみて「なんでこんな意味が定かではない言葉を元にした議論が度々起きるんだ」という疑問を持ち、冬の自由研究的に調べてみようと思ったことでした。
途中、内部留保批判については触れずに「内部留保」の語義の変遷に絞った方がシンプルで良いのでは、などと思いもしましたが、内部留保批判が「内部留保」の語義自体に大きな影響を与えているため、触れなければむしろ変遷過程がわからなくなると考えて、これらをセットで取り上げました。
結果としてやや長めの記事になってしまいました。
最後までお読みいただいた皆様、お付き合いいただき本当にありがとうございました。
参考にさせていただいた記事・文献
記事を書くにあたり参考にさせていただいた記事や文献をご紹介します。
私がACC_ACに書くテーマを決めた後、コウモリIT法務さんより過去に以下の記事を書かれていることを教えていただきました。
昔と今で「内部留保」の意味するところが変わっているということはこの記事で知り、本記事を作成するにあたり大きな手掛かりになりました。
コウモリIT法務さんは今回のACC_ACにも記事を書かれています。
経理側の人間は契約書のどこを読めばいいのか?こういった契約ではどこが論点になりそうか?といったことが具体的に示されており、非常にありがたい記事ですので一読されることをおすすめします。
「経理・財務担当者のための」と銘打たれていますが、監査人にも参考になると思います。
「内部留保の研究」は、内部留保批判の歴史やその詳細について深く研究した書籍です。
批判会計学のなかで内部留保がどのような位置づけだったのか、内部留保研究の現状について詳細を知ることができます。
また、本文でも取り上げましたが、法政大学の川島健司教授による「内部留保の説明に関する一考察 ー「内部留保=現金保有高」という誤解はなぜ生まれ、いかに払拭できるかー」では、「内部留保」の語義の変遷を追ったうえでなぜこのような誤解が起きるのか、それを払拭するためにはどのような教育法が考えられるのか、が探求されています。
『産業經理』2024年10月号(産業経理協会)にて読むことができます。「内部留保」に対する誤解を分析し、その払拭に取り組もうする素晴らしい論文です。
おまけ
おまけ①
③「内部留保分析」の隆盛で取り上げた角瀬教授による内部留保の定義の整理表では、資本準備金まで「内部留保」として扱う論があることがわかります。
さすがに資本準備金を企業の隠れ利益として扱うのは無理があるのではないかと思ってしまいますが、これは資本準備金の性質が当時と今とで異なることによります。
現在の「資本準備金」は、株主による資本の払込時に2分の1までを超えない部分まで計上できるというものです。
資本金に比べ取り崩しが容易であり経営危機時への備えになるほか、払込額に対して資本金を小さくすることができるため税務上の恩恵を受けやすくなりますが、会計的な実質は株主からの払込金そのものであり資本金と変わりません。
ただ、このような形の「資本準備金」が現れたのは1981年の商法改正からでした。
それまでの「資本準備金」は主に額面発行額以上の時価で株式を発行した時のプレミアム部分(例えば1株あたり額面50円で株式を発行し、1株あたり200円を調達できた場合は150円の部分)であり、現在であれば「その他資本剰余金」に分類されるものです。
角瀬教授は資本準備金を「内部留保」に含める論拠を以下のように解説しています。
今では新株はできるだけ時価に近い価格で発行していますが、当時新株は額面50円で発行することが主流だった、ということも併せて前提としておく必要があるでしょう。
要するにプレミアム部分は配当の義務がないので企業にとっては丸儲けなのだから利益の一種だろう、ということです。
資本取引・損益取引区分の原則を踏まえると暴論にもみえますが、批判会計学自体が会計の主流の枠組みを批判的に捉えるものですし、言わんとするところは理解できないではないです。
(とはいえ投資家は額面と時価に差額があることは承知の上で出資しているのでしょうし、企業としても資金需要があるから増資したのであってお金を寝かせようとしているわけではないでしょうから、やはりかなり無理がある議論ではあります。)
一方、現在でも一部に「内部留保」に資本準備金を含めるような主張が見られますが、現在の資本準備金は会計的には資本金と同質ですからさすがに無理があります。
このように語義の変化を踏まえずに過去の議論を引きずるようなやり方は、わかってやっているのであれば悪質ですし、わかっていないのであれば自らの無知を暴露するものに他ならず、いずれにしてもその主張に正当性はありません。
おまけ②
冒頭と③「内部留保分析」の隆盛で取り上げた「年次別法人企業統計調査(令和5年度)」における「内部留保」は記事内でも指摘した通り「広義の内部留保」ですが、実は「フローとしての内部留保」でもあります。
以下のように、フローベースの数値を示す資料中で使われているのです。
きょうび「内部留保」を「フローとしての内部留保」で使用している例はほぼみられず、「広義の内部留保」であることもあいまってかなり貴重な使用例となっています。
さしずめ内部留保界のシーラカンスといったところでしょうか。
ちなみに、この統計を作成している財務総合政策研究所による別統計「法人企業統計からみえる企業の財務指標」の利益剰余金の項目では、内部留保について以下のように定義しています。いわゆる「狭義の内部留保」です。
同じ機関が出している統計間でも定義が異なっているという興味深い状態です。もうこの言葉使うのやめへん?