秘密基地lifeの帝王学 “創造力” 〜文化村の秘密基地・エリア21的思想〜
昨今のコロナ騒動の煽りを受け、目下、 “引き籠り生活” もとい “籠城中” の身。 “籠城”の方が戦う意思を感じる分だけ、ある種の “能動的な生産性” とでもいった様なものを感じるではないか。 まあ、実際、アフター・コロナの生活、働き方などを思案している。いや、ここも “作戦を練っている” としたい。イメージとしては、文化村の秘密基地で司令室に閉じ籠り、“戦略を練っている” といった感じ。これならちょっとワクワクする。
幼い頃、一人っ子の僕はこんな感じだった・・・大雪の日に家の前に出て探検するのだ。すると近所のおばさんが「純ちゃん、何してるの?」と声を掛けてくる。すると「雪男を探しに・・・」などと言って “男の背中” を見せつけてやる・・・ “冒険する男の横顔” を演出するのだ。歳を重ねて行くにつれ、こうした無謀な創造性は失われて行く。”客観的な意味” を求めるからだ。
だが、そもそも人生に “客観的な意味” など存在するのだろうか? 存在はするかも知れない。だが、それは自らの創造とは遠く離れた場所で、他人様に “意味を付与” されているに過ぎない・・・それも往々にして自分自身の意図したものとは別の形で。まあ、それはそれで面白いのだが、そうした評価に振り回されていると間違いなく真の創造性は失われて行く。
そうした状態を ”大人“ と呼ぶのだとすれば合点がいく。その他大勢、一兵卒を大量に生産するには誠に都合の良いシステムかと思われる。確かに、世を生き抜く術(処世術)であることは間違いなさそうだ。
だが、たとえ「吹けば飛ぶよな(様な)将棋の駒」ならぬ、「吹けば飛ぶよな(様な)お城の主」であったとしても、まがりなりにも一国一城の主として乱世を生き抜こうとするのであれば、決して譲ってはならぬモノがある・・・。
そう、それを私は ”創造力“ と呼ぼう!
ちなみに写真は、文化村の秘密基地、前・司令官の曾祖父。司令室にて執務中。