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家庭菜園と寺子屋スピリット〜文化村の秘密基地・エリア21的思想〜

家庭菜園と寺子屋スピリット〜文化村の秘密基地・エリア21的思想〜

現在、私が当主をつとめる “関口家” を遡ること5〜6代前、ときは江戸時代、川越で寺子屋を営んでいたという・・・なになに、当家に代々残されている“過去帳”なるものを見てみると、5代前の平七郎が天保元年生まれで明治21年に亡くなっているようだから、まあその辺りまではaboutそんな感じかと。そしてもう一つの顔は百姓。文化村シークレットベース、前・司令官である曾祖父さんの言葉を借りれば “川越のどん百姓“ だそうだ。

この曾祖父さんの妻という人(すなわち私の曾祖母)が公家の家柄出身で、父はシーボルトの弟子にして勤皇の志士、彦根で開業していた蘭方医で、オマケに帝大で解剖なんぞを教えていたという名門出身ゆえ、軽い夫婦喧嘩の折には「気取ってる!」「下品!」といった出自にまつわる応酬が定番だったという。

さて、まあそんな訳で、関口のご先祖様・・・まあ、下品かどうかはさておいて・・・は “教鞭を執りながら農業に勤しんでいた” ・・・または、 “畑を耕しながら勉学に勤しんでいた” と言い換えてもいい・・・ようだが、それでは現在に生きる子孫=私が何をやっているか?と言えば、実はそれほど違わないように思えてくるから不思議だ。

コロナ自粛以降、週末には演劇に関するリモート講義を2コマ担当しているし、そろそろ運動不足解消も兼ねて、柄にもなく庭いじり&家庭菜園でも始めてみようかと考えている。教鞭を執り、畑を耕そうという訳だ。もちろん音楽や演劇を創り続けるのは言うまでもない・・・たとえ、今まで(コロナ騒動以前)とカタチ(出口)は変わっても。庭の畑のみならず、書斎やスタジオで文化を耕し、野菜のみならず音楽、演劇も収穫し、生徒に教える。要するに150~160年前の当家の手法。

いや、なにも江戸末期まで遡るまでもない。よく考えてみれば、前・司令官(曾祖父さん)の生活・・・1958年没だから、今から62〜80年ぐらい前・・・もそれと変わらないかも知れない。書斎で語学や演劇について考え、学び、執筆する。そして週に数コマ講義を持つ。そうそう家庭菜園も・・・戦後、疎開先の信州・妻籠から東京に戻ると、空襲で焼け野原と化し、すっかり以前の面影を失った文化村の土地に掘立小屋を再建し、庭にとうもろこしとトマトを栽培したという。

まあ、こうして考えてみると、我が家では代々継承されて来た、むしろ “定番の生活作法” なのかも知れない。

近頃、否が応でもwithコロナ乃至はアフター・コロナについて考えざるを得ない状況が続いている訳だが、こうした古くて新しいwork as life こそ、本来の芸術家的な働き方=生き方であると同時に、広く一般に、これからの働き方なのではないかと思えてならない。

work life balance から work as life へ

要するに、人生と仕事を分けて考えるのではなく、敢えて、人生の中に仕事を取り入れようという考え方。

これぞ、文化村の秘密基地的life style考!

P.S.
上の写真は庭で咲き乱れるピンクの薔薇。頂き物の小さな鉢植えを置いておいたら勝手に増殖。ちなみに、下の写真は植えてもないのに勝手に生えてきた木。気がつけば縦は屋根の上、横は家の前の道路の上まで。 「切らないと・・・」と下から眺めるの図。

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