見出し画像

阿波踊り 祭りの只中にいるということ

 今日から日記を書くことにした。高知在住の漫画家のもとこさんの影響を、素直にうけている。

自分の言葉を書く力を取り戻したい。
そして、今の私なりの言葉をつくっていきたい。
そう思って、書き始める。

東京の地元の街の阿波踊りで楽しかったこの週末。もう3日も経ったけれど、昨日、晩御飯の時に、阿波踊りの話が出る。4歳の人が、

阿波踊りをやっている場所の人たちはずるい

という。

なんで、というと、

お家の中からあんなにいいものが見られるかと。確かに、と私は思う。祇園祭やいろんな好きなお祭りの時、より近くにいたい、より長くいたい、できればそこに含まれたい、そう願ったことを思い出す。

私は今、どっぷりとこの、4歳と3歳の人たちと共に暮らす日々に浸かっている。
距離がなさすぎて、昨日は夫が飲み会で夜はワンオペで1人になりたくて、イライラしながら自分の歯磨きをする。4歳の人に誘われた塗り絵もそんなにしたくないから、ちょっとだけ塗って私は抜けた。

でも、この、4歳と3歳の人たちとともに暮らす日々は、ある意味で祭りの日々だということも、私はどこかで感じている。45歳の時に奇跡的に訪れてくれた、遅れてきた、奇跡のようなお祭り。

いつかこのお祭りは終わり、彼女らは彼女らの道をいく。おそらく日常は別になる。祭りの中にずっといると、太鼓の音とかがうるさくて、祭りから抜けたくなるときもあるけれど、私はいつか、この祭りの真っ只中にいた日々を懐かしく思うだろう。そして、祭りの近くに、できれば只中に、戻りたい、と思うのかもしれない。

4歳の人は、来年は連に入り、練習をして、あの中で踊りたい、と、いう。2年連続でそういう彼女の、その、熱望が、私には眩しく、そして尊く感じる。
練習に付き合う覚悟を決め、連に連絡をとり、今年とは違うだろう来年の阿波踊りを楽しみに思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?