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第168回『お菓子の個別包装問題について』#129

このマガジンは私が配信しているポッドキャスト『患者のホンネ』の今週の内容を文章にしたものを掲載しています。

とはいっても、一語一句文字起こししているわけではありません。
話しているとエキサイトして、ハシタナイ言葉も使ってしまうのでここでは少し整理して、テーマをわかりやすくお伝えしたいと思っています。

音声が良い人はポッドキャストで『患者のホンネ』を検索してくださいね。
今回は8分程度の収録です。

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最近、Twitterで話題なのですが、高校生がお菓子の個別包装をやめるように署名を集めてお菓子会社に提出するという話があります。

これに対して賛否の声が集まっているのですが、
賛成意見は、子供たちが考えて行動に移したことはいいことだとかごみが減るといいよねとか。

反対意見は、大人になると一袋一気に食べられない、年寄りの愉しみを奪わんでくれとか、あれは仏壇のお供えに最適なんだ、お参りした後、安心安全に食べられるんだとか、入院中の子供さんは個別包装しか衛生上認められていない、こどもの唯一の愉しみを奪わないでとか、ありました。

あることに対して、いろんな立場で意見を述べ合うことは大切なことだと思います。

ただ、わたしがこの件でちょっと違和感を感じたのは、数の論理の怖さが垣間見えたからです。
数の論理とは少数派の意見は無視、大多数の意見を尊重しようという論理です。

この件に関していうとわたしは、個別包装残してほしい派です。
うちではわたしが一人前の量をなかなか食べられないので、合間時間にちょこちょこつまめる一口の個別包装のお菓子は重要です。

で、じゃあ、お互い署名を集めましょうとなった場合、わたしが面と向かって頼めるのは20~30人くらい。
高校生はまず何百人単位の学校があり、塾の繋がりや、スポーツクラブの仲間などもいるかもしれない。そうするとあっという間に1000人、2000人集まりそうですよね。
高校生の圧倒的なネットワークにはかなわないと思います。

そうした場合、これが本当に民主主義で平等と言えるのか、と思ったんです。

同じことを感じたことがありました。
車イスを使っていた頃、スーパーの駐車場に車イスマークのスペースがありますよね。
そこに、車イスじゃない人が停める場合があるんです。
“1日に何人もこない人のために空けとくことない。”“1%の人のために空けとくより、99%の人が効率よく使った方がいいでしょ”と思ったかもしれません。

でもあのスペースの広さは車のドアをいっぱいいっぱい開けて乗り降りするためのものなんです。
そうしないと車イスに乗り変えることができない。
たとえ少数派でも、それが必要な人のためのスペースなんです。

数の論理だけで進むと、少数派はいつも虐げられることになります。
この世の中、自分がいつ、どの場面で少数派になるかわからないですよね。
そのとき、少数派になったら虐げられるぞという世の中と、少数派が大切に尊重される世の中では、少数派が大切にされる世の中のほうが生きやすいと、わたしは思うんです。

こどもたちはこれから社会のいろんな面に触れると思います。
何かを決断するときや、システムを作るときに、反対意見の人はなぜそう思うんだろうって考えてほしい。

みんながこう思ってるからいいやじゃなくて、少数派の人はどう思っているんだろうって想像してほしい。

そうやって、一つの方向だけとか、数の倫理で、だけではなく、広い広い視野を作っていってほしいなと思います。

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