実るほど頭を垂れる稲穂かな
この言葉が好きなのね。
僕は、頭を垂れていられているだろうか。
時により、垂れていない時があるなあ。
年齢とともに、そして対外的に公表している立場的に、どうしても丁重に扱われてしまう局面が出てくる。
どうにも歯痒くて、居心地悪くて。申し訳ない気持ちになる。
そんな毎日にふと、この言葉が頭をよぎる。
僕はいま、頭を垂れていられているだろうか。
たくさんの人の好意の上に胡坐をかいていないだろうか。
謙虚に、誠実に、真摯に、実直に。
そうやって、近くにいる人をちょっとしあわせにできる「何か」に取り組んでいたいものです。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
よくできた言葉を先人は考えるものだなあ。