声優の歴史⑦太平洋テレビ
どもども。みなさまおっぺい( 厂˙ω˙ )厂
声優兼オネェ系Vライバーのじゅんぺいです。
今日も記事を読んでいただきありがとうございます。
今週も、声優の歴史をちょこっと辿ってみます。
ちょこっとどころじゃないボリュームになっちゃいそうだ。
そんなこんなで、テレビで吹き替えブームというものが起きて
外国の映画がテレビで放映されるようになるわけですが……
外国の映画だから、もちろん日本で放送するってなると
許可が必要になってくるわけですよ。
んで、放映する度に吹き替えの役者さんを集めて
収録をしなくちゃいけないわけですよ。
それって大変ですよね。
という時に登場したのが「太平洋テレビ」という会社です。
太平洋テレビ事件
どういう会社かというと、世界各国の映画を日本語吹き替えにして
お届けするという映画配給会社です。テレビ局の名前じゃないんだよ。
世界各国の映画会社と繋がりを持っているので
「太平洋テレビにお願いすれば、
外国映画が日本語吹き替えされた状態で納品される」
みたいな感じです。
実際に、ここに所属している吹き替え俳優さんもたくさんいて
所属俳優は600名近く、マネージャーは30名近くいたそうです。
ただ、この太平洋テレビがあっという間にうまくいかなくなってしまって
大規模な労働争議が起きます。
これにより、所属していた俳優のほとんどが退社し、
太平洋テレビは休業に追い込まれます。
そして、ここに所属していた俳優たちに
「自分たちの仕事は自分たちで守るべきじゃないか??」
という自我が芽生え始めるのです。
ここで、ようやく初めての「声優プロダクション」設立に向けて
動きが加速するのです。