声優の歴史⑩初めての声優プロダクション
どもども。みなさまおっぺい( 厂˙ω˙ )厂
声優兼オネェ系Vライバーのじゅんぺいです。
今日も記事を読んでいただきありがとうございます。
今週も、声優の歴史をちょこっと辿ってみます。
昨日の記事でちょこっと話が脱線しちゃったので
元に戻しましょう。
太平洋テレビでのいざこざがあって
日俳連の原型となる「協同組合放送芸能家協会」ができたのが
1963年。
昔は街角にしかなかったテレビの家庭普及率も
80%を超え、「一家に一台テレビがある」状態に。
国産30分アニメ「鉄腕アトム」が放送されたり
NHK大河ドラマの第一回が放送されたのもこの年なんですって。
まだ白黒テレビとカラーテレビが混在していた頃で
翌年の東京オリンピックを契機に
カラーテレビの普及が一気に進んでいきます。
初めての声優プロダクションへ
まだこの頃は、「声優」という言葉が一般的に使われる前。
太平洋テレビの芸能部を担当していたタレントとマネージャーが
独立して作った事務所が「俳協」と呼ばれる事務所です。
んで、ここが声優事務所の元祖となっています。
もちろん今でもあります。
山寺宏一さんが長年所属していた事務所ですね。
事務所と書いちゃいましたが……
「俳協」は「東京俳優生活協同組合」の略。
正式に言うと、事務所の機能を持った生活協同組合なんです。
もちろん、今でもそうです。
これとほぼ同時期に日俳連の原型が生まれてるわけだから
こうやって成り立ちを調べていくと
「なんで声優事務所の元祖に『声優』って言葉が使われてないのか??」
「日本俳優連合って名前なのに、加入している人にほとんどが声優なの??」
という疑問の答えにもなっていくんじゃないかと思います。
今は大手と呼ばれている声優プロダクションの源流を辿ると
そのほとんどが「俳協」に繋がっていくわけです。