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忘年会終止(ピカルディ終止、コード進行の一種)について

※この記事は、ボカロP Advent Calendar 2023の18日目の記事です。ほかの方の記事は下記リンクから読むことができます。

はじめまして、ジャズとピアノとラーメンが大好きな作曲家の
純音(じゅのん)
と申します。久々のブログ記事で緊張しています。
私は調性やコード進行に性癖を感じるタイプの作曲家なのですが、今回はそのうちのひとつ「忘年会終止」について好き勝手語ろうと思います。


この記事は忘年会終止(ピカルディ終止)への推し語り記事です

突然ですが、みなさん
【涙を湛えた笑顔】
って好きですか?

わたしは大好きです。

感情が混ざったような人の表情って、何かしら複雑な事情を内に押し込んで、それでも押し込めきれない感じ、とても尊いですよね。

今日は音楽のとある和音進行の話をしようと思うんですが、和音進行の分野でもこれに近いものがあります。
それが「ピカルディ終止」です。
わたしはこれを別名「忘年会終止」と呼んでいます。(命名の理由は後述します)

ピカルディ終止って何?

ピカルディ終止の説明

ピカルディ終止については様々なサイトで解説されていますが、まずはWikipediaを引用します。

ピカルディの三度とは、短調の楽曲の最後が、本来の短調の主和音(i)にあたる短三和音でなく、同主調の長調の主和音(I)にあたる長三和音で終わること。ピカルディ3度[1]、ピカルディ終止と呼ばれることもある。
音の操作としては本来の主和音よりも協和する長三和音で終了させることであり、効果としてはしばしば短調の暗い音響の中で最後だけがひときわ明るく豪華に響くことになる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%BA%A6

調性を伴う楽曲には大きく長調(メジャーキー)と短調(マイナーキー)があり、前者は明るく、後者は暗い曲になりがちな傾向がありますが、短調のなかでいきなり調三和音=メジャーコードを響かせることで、「最後のところだけ明るくする」効果があります。それはもう不自然なほどに。

ピカルディ終止の使用例

実際の曲の中での用法については、ずっしーの音楽教室さんの動画が親しみやすかったので引用させていただきます。
ご存じの曲もあるかと思うので、チャプターからいろいろと聞いてみてください。

いかがでしょうか?
かなり有名な曲にも使われていることがわかるかと思いますが、こういう観点で聞いていなかった方も多いかもしれませんね。
ただ解説動画を聞いてみると、冒頭に申した【涙を湛えた笑顔】のたとえがしっくりする方も多いのではないかと思います。
短調のはずなのに、突然明るくなる。長和音という明るい和音のはずなのに、どこか切なさを含んでいて、それがより一層輝きを増した響きとなり、楽曲の魅力を高めている、そんな感じがしませんか?

なぜ忘年会終止と名付けたのか

吹奏楽曲「アヴェンテューラ」との出会い

これはわたしの学生時代に遡るんですけど、わたしがこのピカルディ終止に魅了されるきっかけとなったのは吹奏楽曲の「アヴェンテューラ(ジェームズ・スウェアリンジェン)」という曲でした。(当時吹奏楽部に所属していました)

時間に余裕のある方は是非全編聞いていただきたいんですけど6分弱と長いので、まずは3:11あたりから聞いていただくと、ずっと闇の中のように暗かったのが3:37あたりで希望の光が見えてくるような長和音が聞こえてきます。
しかし、(これは通して聞かないと分からないことかもしれませんが)曲全体からするとこの長和音は決して心の底から希望を感じているわけではなく、(サウンドの薄さも相俟って)闇の中に一筋の光をかろうじて見出しているような、しかしそれすらも幻想かもしれないと思うような、非常に儚いものであるといえます。
精神が沈んでいるのに心だけが一瞬、ふわっと浮いてしまうような感じ。

忘年会だって「全部」は忘れられない

ここまでファンタジックな話を多めにしてきたところいきなり俗っぽい話になるのですが、我々が年末に行う「忘年会」というイベントも近い切なさをはらんでいるように思います。
「忘年会」というのは、その年あった辛い出来事をいったんわすれて、楽しく盛り上がろうというイベントですね。
でも、本当に全部忘れられるわけではないんです(今更何を言うんだという感じですが)。
来年になっても仕事は続いていくし、完全に新しい気持ちにはなれない。何なら今はまだ12月中旬だから、まだ半月ほど今年の仕事だって残っている。
それでも、忘年会というイベントを通して、どうにか一旦気持ちを明るく切り替えよう、というのが忘年会の趣旨なわけです。

このピカルディ終止の長和音にも、近い葛藤を感じませんか?
ドラマチックな感情の起伏のみならず、常に仮面をかぶることを強いられるサラリーマンの哀愁すら、このピカルディ終止は表現してくれるのです。

先ほど引用した「アヴェンテューラ」の5:35~最後の部分では、(音楽的な響き上は)本当に底抜けに明るいメジャーコードで終わります。(是非その少し前から聞いてみてください)
そこだけ聞いたら別の曲のようですが、これも忘年会のように「それまでの鬱屈した感情を無理やり忘れている」と思えば説明がつきます。

これを聞いて、わたしはピカルディ終止のことを「忘年会終止」と呼ぶことにしたわけです。

忘年会終止を感じよう

ネーミングの是非はともかく、「忘年会終止」の魅力を少しでも伝えることができたら幸いです。
今後楽曲を聞くときや、あるいは作曲をする方は制作する際にも、是非頭の片隅に留め置いていただけると嬉しいです。

最後に折角の機会ですので、わたしの制作した楽曲のリンクを置かせていただきます。
ラスサビの2:51~と、3:22~でピカルディ終止、もとい「忘年会終止」を使用しています。


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