
第6回細胞農業会議を終えて
突然だが、私は日本細胞農業協会にインターンしている。
始まりは大学1年生の7月上旬。
当時畜産科学科の3年生だったNさんから「培養肉に興味あるなら、日本細胞農業協会にインターンしてみない?」と声をかけられたのを機に。
ちなみに私は、彼の誘いで畜産科学科への道を選び、Livestockersという畜産愛好家の集いにも入った。
そう、彼無しで私の大学生活は語れないのよ…と感謝したりする。
さて、話を戻す。
結局、Nさんに誘われた1週間後。
弊協会の理事さんとの面談でインターンが決定。
とはいえ、このインターンは無給。
何故か。それはこの協会が「特定非営利活動法人」だから、らしい。ふーん。まあ、そうゆうことだ。
給料の有無が重要か。
これは人それぞれ意見が分かれるところだろう。
実際に私もお金を貰えなければ働きたくない派だ。
では何故1年以上所属しているのか。
それは、「スイーツは別腹」みたいなものだ。
好きな事に関してはたとえ報酬が無くともやるということである。
まあ、将来的に成果主義で報酬が貰えれば嬉しいなあと思うが👀。
さて、つらつらとお金の話を述べたが、実際に活動はちゃんとしているの?と懐疑する人もいるだろう。ここで自身の活動内容を話す。
正直に言うと、私はパソコン音痴だ。
タイピングなぞ1年生の夏にはマトモにできなかった。「Google Documentって何?」というレベルで。
そのため、最初の2ヶ月程は協会の理事さんとのパソコン特訓。週一で行うオンラインmtgに加え、Slackで何度も文章の推敲を繰り返した。彼には感謝しても仕切れず、特に東大で多忙だった彼の時間を奪ったことに申し訳ない気持ちが大きい。
そんなこんなで8月下旬に初めてのコラムを作成。
タイトルは「細胞性食品(培養肉)に関わる日本の企業」。拙い文章ながらも、形にできたことに安堵した。
その後、2024年2月には「細胞性食品の研究を行う日本の大学」について調べ、コラムを書き上げた。
調査や執筆には2〜3ヶ月かかり、理事さんの校正には本当に助けられた。そして労力を要する分、上辺でしか知らなかった培養肉について、少なくとも日本の大学・企業で進む研究内容は大まかに知ることができた。
2024年に入ってから、定期的に作成する海外の細胞農業技術に関するニュース特集も担当している。調べるにつれて、アメリカやシンガポールでは培養肉がすでに販売され、世界各地で培養肉・培養魚・精密発酵(ミルク、卵等)の研究開発及び生産拡大が進んでいることがわかった。
それと同時に、日本は培養肉の商品化への展望が海外と比べるとまだ未熟だと感じ、益々自分もこの分野に関わりたい、という願望が強くなった。
そして本題の「細胞農業会議」。
年末年始から準備が始まった。
実は去年の「第5回細胞農業会議」でも一応Twitter(X)での隔日宣伝を担当していた。
それは今年も担当。
スライド作りはここで磨かれたような気がする。
「第6回細胞農業会議」では、講演やポスターセッションの運営、細胞農業会議公式HPの開設、協会のHPやPRtimes、Twitter(X)での広告記事の作成・掲載、更に来場者約300人に配るビラ作りまで、多岐にわたるタスクを担った。
そして8月下旬。4泊5日の東京出張。そのうち計2日ほどは観光time。中学3年生以来の東京観光を楽しみつつ、会議前日はぶっちゃけ本番より忙しかった。
まずはコラム冒頭に登場していたNさんに韓国料理をご馳走になった後にラボツアー。

弊協会に所属していらっしゃる清水教授直々にラボを案内していただいた。オンラインmtgで交流していた理事さんやその他インターン生とはこの時、初対面。1年ほどオンライン上でやり取りしていた、という事実に時代だなと感じる。
ムーンショット計画の全体構想や藻類を使った培養液製造を視察し、一行は東京大学へ。
東京大学伊藤謝恩ホールにて前日リハを終えた後、研究室に所属する理事さん直々に、東京大学竹内研究室へラボ訪問。3Dプリンターや培養装置等数百万はする実験機材で溢れるラボを案内してくださった。
2つのラボ。どちらもスケールがすごい。
東大の広さにも驚いた。
キャンパスでビジネス街ができているのだ。
その後21時に会議準備を終え、解散となった。
学術集会の運営は大変なんだなあ、と実感する夜だった。

会議当日は8ヶ月間の準備が一瞬で過ぎ去った。


会議の休憩時間や懇親会では、憧れの東大教授や日清等の企業の方々と沢山お話しした。自身の将来を深く考える、貴重な時間を過ごした。

4泊5日の東京出張。これは私の人生に大きく意味のある経験だった。今後も培養肉という食文化を探求していきたい。