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写真花嫁 ミドリさんの話
ミドリさんは数年前、94歳で亡くなった日系一世女性です。
彼女との出会いは今から30年前、ハワイの病院で私がボランティアをした時に知り合いました。小柄で気さくで明るいミドリさんは日本で生まれた為、日本語ができました。
ミドリさんとは、いろいろな話をしました。なかでも興味深かったのは写真花嫁(ピクチャーブライド)の話でした。
ミドリさんは写真でしか知らない男性と結婚する為、日本からハワイまで他の写真花嫁たちと数週間の船旅に出ました。
当時、すでにアメリカ本土やハワイに移住していた日本人男性たちは日本から多くの写真花嫁をむかえました。決め手はたった一枚の写真。中には若い頃の写真を送ったり、他人の写真を送る男性もいたらしいです。
ミドリさんも例にもれず、やっとで会った御主人は写真とは似ても似つかない容姿だったそうです。夫になる、まだ見ぬ人の写真を胸に不安と憧れを抱いてハワイに寄港。しかし、目の前に現れた男性が写真と違っていたら、その落胆は計り知れません。
「若い時の写真を送ってよこしたのよ。見たら、あなた、もうジイさんだもんね。すぐに又、船に乗って帰って来たわよ」
ミドリさんは興奮して続けました。
「やっとで、日本に着いたと思ったらあの人が先回りして日本で私を待ってるじゃない。驚いたわよー」
ミドリさんはしぶしぶハワイに連れ戻されたそうです。それから、お子さん一人をもうけましたが結局、離婚されシングルマザーになりました。女手一つで子供を育てる為、知り合いのいるロサンゼルスに移住して朝から晩まで働いたそうです。移民大国アメリカで働くと言っても当時はウエイトレスと店員の掛け持ちをして生計を立て、多くの日系人がしたように子供には良い教育を与えたそうです。
どの時代でも金融に強いユダヤ人は当時も幅を利かせていたそうです。日系人はユダヤ人の話をする時、スラングでクイチと呼んだらしい。英語のスラングでジューという代わりに9と1を足すとジューになるので、それでクイチという隠語になったらしいです。
ミドリさんもクイチに負けず劣らず製薬会社の株でひと儲け、ハワイにお子さんと戻り3つのコンドミニアムのオーナーになりました。
日系人の苦労話はよく聞きます。写真花嫁で若くしてハワイに渡り結婚こそは成功とはいかなかったけれど、ミドリさんこそアメリカンドリームを手に入れた女性の一人だと思います。
老後は動けるまで病院でボランティアとして働き、ご自分のプラン通りナーシングホームで大往生をとげました。
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