蒼い春

「ねえオカ。いくらあるの。」
「え、ちょっと待って。えっとね。イチ..ニィ....ン..3万6千円だ。元太は?」
「うんとね。えっと。1万8千円。オオちゃんは?」
「ん?俺は2万2千円だよ。」

僕と大坂と元太はその時12歳だった。まだ小学校6年生だった。

空はいつにも増して高かった。
僕達少年には 果てしも無く 思えた。
その遠さと雄大さ。

特に北海道の空は 他の世界の地球の地域よりも 特段に高いのかも知れない。
神様がそう設定されたのかも分からない。
それは 僕達には 知りも得ない。
そのくらいに。
子供の僕達にしてみると、果てしが無く ただ 大人たちよりも きっと 僕達の方が 空を見る目は 濃いのだと 勝手ながらの自負を 懐に 仕舞い込みながら 思えたもので 有りました。

札幌市の西側に聳え立つ手稲山の見えるその場所で、僕たちは、蒼い春を過ごしていた。平成6年の3月。
11月から降り積もった雪は、氷点下を超えてきた3月から溶けて来て、久しぶりのアスファルトは顔を出していた。
僕たちはその季節もとても好きで。やっとグラウンドで遊べる。またサッカーボールが蹴られる。そう思って、春休みに、僕たちは、毎日ゼストに通っていた。
春の日差しは暖かく、僕たちの全身を包み込んでいた。小学校6年生の最後の春休み。僕達はもうすぐ 中学校に入学する。手稲東中学校に。
それは僕たちにとっては 通過儀礼の 初手の 人生の 最たる大きな イベントで、隣の小学校と一緒になるし、俺たちは負ける訳にはいかないし、俺たちが取るんだ 俺は 俺の学校の頭を張った だから 中学校も そこにいくんだ
12歳の少年が そう 確かに! 思った
友達と 一緒に。

「オカ。万引きした事ある?」
そう始めに聞いて来たのは元太だった。
小学校6年生の7月の事だった。

万引き?

僕は思った。

それは悪い事だよね犯罪だよね。

その時は僕はまだ11歳だった。

札幌市西区西野の生協の前で。いつも僕たちが歩いていた校区内のスーパーの前で。元太が僕にそう言った。

「え。や。万引きはないけど。。」

「そっか。カズキは万引きしてるって言ってたよ。」

カズキとは、水上和樹の事で、カズキも僕たちの同級生だった。
僕はカズキもとても仲が良くて。和樹の家には何回も何回も遊びに行った。
和樹のお父さんは、トラックの運転手か何かだったのかな。和樹のお母さんは所謂ヤンキー上がりの若いお母さんで、髪の毛が長くてストレートで茶色に染めていて、
いつも細い紙タバコを吸っていて。
小学校だった僕もいつも和樹のお母さんはとても綺麗な人だなあって思っていた。僕の事をいつも 岡くん 岡くん って 言っていた 和樹のお母さん。
元太ももちろん同じ小学校だったから和樹のことはよく知っている。その和樹のことをその時元太は僕に言っていた。

  • 和樹は万引きしているって言っていたよ

それを聞いて、僕は、いつもガキ大将で、リーダーをいつも気取っていたから、元太にそう言われて、引き下がるのは格好が悪いと思ったし、
元太は元太で僕の性格をよく知っているものだから、だからわざと僕に言ったのではないかと少しの勘繰りと確信が共存しながらではあったけれども、
でも瞬時に、それが勧められているのだと僕は思ったし、引き下がるという答えは僕は用意していなかったものだから、
「え、まじで。ああ。万引きするか。」
って答えたのでした。

「うん。行こう。」

それが僕にとっては生まれて初めての犯罪体験でした。

幼少期からヤンチャな少年ではあったとは思う。
遺伝子に感謝して、子供の時は体も大きくて、運動は僕が一番得意だった、ボールを投げるのも ボールを蹴るのも 僕が 一番遠くに 飛ばした。
負けず嫌いで聞かず屋で、だからきっと目立つタイプであったのだと思うし、同い年とか年上の少年たちとはよく喧嘩をしていたものでして。相手を泣かせた事なんて何度もありました。歳が上だって、一歳上とか二歳上とか喧嘩して。顔面を蹴ってたなあ。何回も相手が泣いていました。
だから、人と喧嘩をするとか、相手を蹴るとか、泣かせるとか、その類の少年の喧嘩の悪さは何度も経験していましたが、
殊日本国の法令を破ると言う、年齢に関わらず、老若男女に関わらず、日本国民であろうが、引いては、海外国籍のものであろうが、捕まる。
犯罪。
を。
生まれて初めての体験 万引きは その時でありました。元太が言うからさ。

11歳で。僕と元太が2人で生協に入って。

僕は消しゴムか何かをポケットに入れたのかな。元太はなんだったろうな。覚えていないけれど。
2人でドキドキしながら生協に入って。そうして、100円か100何十円かの製品をポケットかどこかに入れてそのままレジを通過せずに入口の自動ドアを同じような速度で、でも、至極緊張をしながら通過して、誰にも、何も言われないままに、外に、僕たちは出て。
ホッとして。
初めての体験で。
それが僕たちを更にそちらに寄せるようでありました。

その時の体験があったものだから。
僕たちはそれから、いつでも、簡単に、万引きをするようになっていました。

  • ツカマラナインダナ

11歳や12歳の少年達が、そんな目論見で、スーパーや古本屋に出入りしているとは大人達には想定でき得なかったのでしょうか。

札幌市西区西野の至極狭い町の中で僕達は、それから、胸を張って粋がって、万引きは日常になっていきました。

僕はサッカーのキャプテンで、児童会会長とか学習発表会の主役とか、そういう目立つことが大好きで。
それからも小学校で毎日、誰よりも目立つように前に出ていって過ごしていって迎えて卒業式を終えて。
僕は元太と大阪と仲が良くって。
大坂と元太も仲が良くって。大坂と元太の家も近くて。
そうして。僕達は小学校を卒業して、中学校に上がる前の、少しだけ長い春休みがやってきて。

冒頭のそれは、その、僕達の小学校を卒業して中学校に上がる前の、少しだけ長かった春休みでの出来事のお話で。

「おか。いくら持ってるの?」

「え。3万6千円だよ。元太は?」

「え。俺は1万8千円。オオちゃんは?」

「え。俺は2万2千円だよ。」

その時僕達は、タクシーで移動していた。

小学校6年生の最後だった僕たちは お金持ちだった。
一日で10万円くらいは稼いだ。
ファミコンソフトを売った。
ゼストを潰しに入っていた。

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