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おチチの遺したもの

私にも父がいました。
以後、親愛と憎悪が入り混じった気持ちを込めておチチと呼びます。
おチチの人生は破天荒でドン引き、一目を置くものでした。
そんなおチチは北海道の山奥に埋葬されており、誰からも忘れられる存在になること間違いなしなので、娘である私が生き様を記録したいと思います。


おチチの記録

おチチはクリエイティブな人で、上京して美大へ進学し、さんざん遊び回った挙句に卒業もせず北海道に帰りました。
遊び回っている間に粘着質な女性に捕まり、若いうちに結婚をしたようです。相手は母なんですけど。

おチチはデザイナーを志していましたが芽が出ず、母と自営業を始めました。
バブル期だったこともあり非常に優雅な生活を送っていたようです。

子どもが苦手なおチチはDINKsを望んでいたのですが、結婚10年目にして私が誕生してしまいます。
望まぬ子どもではあったものの、私が男子よりの遊びが好きだったため、クリエイター気質を発揮して色々なおもちゃを作ってくれました。
殺傷能力のありそうなボウガンとか、弓とか、剣とか⋯。
美大に通っていただけはあり、絵がとても上手で、幼児期にパースの取り方を教えてくれましたが1ミリもわかりませんでした。今もわかりません。

週末はおチチの大好きな海か山へ行き、私は大自然の中に置いてきぼり。
山ではヒグマにビクビクしながら両親を探し歩いたり、海では波に負けて沖まで流されてしまったり。常に一人で遭難していた幼少期。

その頃、しばらくおチチと会えていないことに気付いた私が母に消息を訪ねると、
「おチチは沈没船の金銀財宝をハントしに行った」
とのこと。
数カ月後に帰ってきたおチチは、日に焼けて別人のようになり、手にはフジツボまみれの壺がありました。
NHKでもその特集が組まれており、リアタイでおチチと興奮しながら視聴していました。
そんな中、テロップに出てきたおチチの名前が完全に間違っており、それまでドヤっていた彼のテンションは急降下。切なそうなあの顔が忘れられません。
テレビ局、そういうとこだぞ。

そんな夢追い人のおチチは、ご多分に漏れず好色なオッサンでした。
火遊び相手から夜間の無言電話は良い方で、食卓に大人のおもちゃが放置、共用の棚にモザイクなしの海外ポルノ雑誌が置いてあることもありました。

家庭が解散に至ったのも、それがきっかけです。
不倫デートをしている現場を私と母に見つかり、激高した母に公衆の面前で殴られ、次の日から姿を消しました。
お相手は赤毛のオーストラリア人で、数年後にその方と再婚。逃げるようにオーストラリアへ移住していきました。

その後、おチチと会ったのは離婚調停の一度きり。
成人後に一度だけ電話が来たのは覚えているけど、まごついた態度にイライラした記憶しかありません。

そこから数年後、私が第二子の出産直前に突然おチチの訃報が届き、生き別れた後の彼の人生を知ることになります。

オーストラリアでの結婚はうまくいかず、北海道に戻ってきて別の女性と再婚。
いつからかは分からないけど肺がんになり、あっという間に亡くなったようです。

遺書には、
「何も遺せないけど幸せな家庭を築いて欲しい」
とあり、司法書士さんの前でメソメソしてしまった恥ずかしい記憶があります。一財産残してくれよ⋯。

まだ悲しさが残るある日、知らない弁護士からの書類でおチチが私に遺した思いもよらぬものが判明します。

それはオーストラリアで再婚した元配偶者からのものでした。

おめー、父の遺産もらったか?
あいつのDVがヤバかったから、連帯責任として娘に二億円請求しとくな!

何も残せないどころか、最後まで盛大に失望を残してくれたおチチ。
怨念に満ちた2億円の請求はもちろん支払いませんでした。

あれから15年が経ち。
記憶の中のおチチと歳が近づくにつれ、欠陥だらけの彼ともっと会話をするべきだった、私の振る舞いで何かが変わったのでは…、と無念の思いが募ります。
そして不思議なことに、当時は湧かなかった弔いの気持ちが芽生えてきているのです。


ご機嫌なおチチ
海の岩場で放置されたあと、戻ってきたおチチに喜ぶ私

3行で


子ども嫌いのおチチだが、最大限娘を楽しませてくれた。
おチチの不倫により家庭崩壊した後、離婚と結婚を繰り返し癌で亡くなる。
娘には財産の代わりにバチクソやばい元嫁の怨念が遺されるが、おチチを憎みきれない。

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