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レオナルド・ダ・ヴィンチからの招待状sその③

考察もろくにしないまま、適当な意味をでっちあげた。左の文字は反転させ、Clouxと読んでレオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなるまでの3年間逗留したクルー城に感謝を込めたのではないか?

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 蜘蛛の方は頭蓋骨かもしれないと確か発表した記憶がある。しかも頭の形に特徴があるのでダヴィンチの素描に登場する頭の長い老婆かもしれないなどと書き込んでいるような気がする。

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後に動画の作り直しはしている。

モナ・リザはダヴィンチ世界への扉の鍵である

 有名になったらどうしよう。などと私は愚かにもそんなことを真剣に考えていた。500年誰も気づかなかったモナ・リザの秘密を見つけた。・・と。
しかし全くそのような心配は必要なかった。その動画に、なんの反応もなかった。視聴回数など二桁代。未だに維持している。


 私はこの画像を家族に見せた。SNSにもアップした。しかしアップして気づいたが、見えない人には全く文字に見えないことが分かった。蜘蛛にも骸骨にも見えない。「皺は皺なのであり、たまたま、そう見えただけじゃないの?」そう言われ続けた。多分これからもそうだろう。

 人間というものは一旦思い込めば見えているものも見えなくなるようだ。反面一旦見え始めてしまうと、どうやっても文字や意味を持った形に見えてしまう。不思議な生き物だ。不思議な脳と言った方が良いかもしれない。
 私は今この文章を書いているわけだが、現時点ではこの文字、正確に言えば文字のように見えるものの意味を解明しようとは特に考えてはいない。
 イタリア語なのか英語なのかラテン語?私にはどうでもいいことなのだ。私はそう思っている。レオナルド・ダ・ヴィンチは解明してもらいたいわけで描きこんだのではないと思う。
 レオナルド・ダ・ヴィンチはたぶん、それに気づかれないようにモナ・リザに密かに潜ませている気がする。それはそれだけで良いのだ。ここで重要なのは文字の意味を解読することではなく、文字の様なものに見えるかどうか。そしてあるがままに見て衣服の皴に何か皴ではないものを意図的に描き込まれているということだけが分かれば良いとレオナルド・ダ・ヴィンチは言っているような気がしてならない。
 レオナルド・ダ・ヴィンチがそこまで描きこんだものを、鑑賞者が気付いた場合、次のステップに行ける仕掛けがあると直感した。

 そうだ。レオナルド・ダ・ヴィンチからの招待状だったのだ。深い、広い、暗い、レオナルド・ダ・ヴィンチの迷宮への招待状だったのだ。
 そう私は確信した。見ているようで見ていない。知識があればあるほど見えなくなる。素直に絵だけを見る者だけが入場を許可されるような気がした。私は本も読まない。美術史の知識も皆無。ルネサンスのいう意味すら知らない。
 知っているのはレオナルド・ダ・ヴィンチという画家が昔、存在していたらしいということと、

 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされる絵が目の前のパソコンのディスプレイに映し出されるだけ。武器はパソコンだけ…無謀な冒険の始まりである。

 無学な者ほど旅人には向いているらしい。

続く


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