絵画の楽しみ方教えます。 その7-3
解読再開
最後の晩餐や受胎告知、聖アンナと聖母子、聖アンナと聖母子と幼児ヨハネ、岩窟の聖母、キリストの洗礼。私は無我夢中で謎解きに没頭してきました。気が付けば会社を定年して既に5年が経過していました。レオナルド・ダ・ヴィンチの謎解きをして行く中で知らず知らずに多くの事を学んだような気がします。私にとってこの5年は美術の世界を諦めてからの変凡な数十年に匹敵する程の濃密な時間だったという感じがします。いつしか死を待つだけの老後など何処かに吹っ飛んでしまったようです。
そんなある日、私はもう一度その文字を観ました。
私はレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を観てきた中で何を学んだのでしょうか?最後の晩餐ではペトロの右手の手首がおかしいと素直に思ったところから謎が解けた。受胎告知ではマリアの足が素直におかしいと思ったところからセントジェロームに行きついた。岩窟の聖母でも大天使ガブリエルの首がおかしいと思ったところから受胎告知との関連に気が付くことができました。キリストの洗礼では樹木の中の鳥を見つけたことで反転貼り合わせ、50%透過の手法を発見しました。いずれも素直な気持ちで見ただけです。レオナルド・ダ・ヴィンチが美術史上最高の画家だとか万能の天才などと言う事は関係なしに素直に見ただけなのです。当初私はこの文字を反転させて解読しようとしました。
それはレオナルド・ダ・ヴィンチが鏡文字で手稿を書いたと言うあまりにも有名なことに影響されていたのではないかと思うようになってきたのです。何故、素直に見ることができなかったのだろうか?
「そうだ。素直に見よう。ありのままに見ようではないか」
私は反転せず、そのままにこの文字と対峙したのです。深読みをすれば、レオナルド最後の仕事モナ・リザには反転文字は使わなかったという、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後のユーモア&トリックなのかもしれません。あるいは冗談。変人には変人の心で、しかも素直に挑むしかないのです。
続く・・
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