岩窟の聖母 2
「岩窟の聖母」ルーブル版である。岩窟の聖母にはルーブル版とロンドン版がある。今回はルーブル版で話を進めていきたい。私は個人的にロンドン版が好きではないというのも理由の一つである。それに私はロンドン版をレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたものとは未だに思えない。
(最近多少見解が変わってきている。)
この話になると話が逸れてしまうので、私のロンドン版についての見解は最後の方で記述する。
さて、私はキリスト教徒ではない。そして私は聖書も満足に読んだことがないので、どうして洞窟に聖母とキリストが居るのかも知らないし、岩窟の聖母というならば、聖母だけかと思えば、幼児が2名、女性がもう1名、合計4名の登場人物なのだと不思議に思う。
たぶん中央が聖母なのだろう。幼児はキリストだろうか?どちらがキリストなのだろうか?私が思うには左の幼児がキリストの様に見えるのだが、ロンドンバージョンでは、左の幼児が十字架を持っているので洗礼者ヨハネということになっているらしい。だいたい、キリストと洗礼者ヨハネが一緒に、なぜ洞窟に居るのだろう。私には関係のないことかもしれない。ウィキペディアで調べるのも面倒だ。
私の使命はこの絵を純粋に観て、そこからこのレオナルド・ダ・ヴィンチの世界に入っていくのが私のやり方なのだ。
最後の晩餐の謎解き本、拙著「最後の晩餐はティファニーで」の中でウィキペディアからの引用など細かく書いたが、無駄なようだ。皆さんが興味を持つならば、ウィキペディア、もしくはルーブル美術館のホームページを見ていただきたい。その方が早い。私も大まかには調べてみたが、美術史的にも分かっていないことの方が多く美術史家の偉い先生方の議論の遊び場になっているようだ。
美術の専門家、教授、美術史家、美術愛好家達はいったい何を学んでいるのだろうか?彼らは絵を見ているのだろうか?レオナルド・ダ・ヴィンチの生きていた頃の時代背景や、この「岩窟の聖母」の描かれた経緯、依頼主などのことは良く調べているようだが、肝心の、この絵画をしっかり観察しているのだろうか?私は非常に疑問に感じることがある。
私はこれまで最後の晩餐、受胎告知、キリストの洗礼、の謎を解いてきたわけだが、人類というものは私の想像以上に愚かなものの様だ。
ある意味、私のやっていることは徒労なのかもしれない。私の謎解きを理解できた人を私は未だ、一人も知らない。「私の独りよがり、思い込みだよ。」とあなたは笑ってもかまわない。
変人爺さんの戯言、そう感じても良いし、それで良いのだ。無理もあるまい。
人それぞれ遊び場が違う。私はレオナルド・ダ・ヴィンチと遊んでいる。私は彼と同じ遊び場に居るからだろう。私は孤独と言えば孤独である。出来るなら、一人くらい仲間がいてくれたら嬉しいし心強い。
私はつまらない前置きはやめよう。
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