ゴッホの青い手紙 41
テオよ。白い手紙でも書いたかもしれないが、最近ジョットの絵を見ると気持ちが落ち着く。なぜだろう。本当に遠近法が未熟なのだろうか?写真の様に描こうと思ってはいたがあの様に描いてしまったのか?そうではないだろう。
ルネサンス以後確かに遠近法も人物の表現もそりゃ素晴らしいさ。でも進化なのだろうか?前進のだろうか?悪口を言うわけではないが、写実を追い求めた成れの果てがフェルメールやアングル、現代ではドガかな?別に良いんだ。確かに絵の具の違い。フレスコと油絵具じゃ違う。チューブだって大きく絵の表現の幅を広げた。鉄道だって出来たからいろいろな土地に行って絵も描けるようになった。写真の発明も言わずもがな・・それは十分承知したうえでの話だ。
ジョットは描きたいように描けていた良き時代の絵なのかもしれない。ある意味、ルネサンス以後は悪趣味が入り込んできた気がする。悪趣味を求める時代になったから、画家はそれに合わせるしかないだろう。レオナルド・ダ・ヴィンチは多分両方理解していた気がする。「トビアスと天使」を見た時そう思った。あれは彼が若く未熟だったわけではない。良き時代に別れを告げた絵なのかもしれないな。
人間の幸せとは何だろう。あんな荘厳な教会に礼拝すれば幸せになれるのだろうか?本当に必要なのだろうか?人間は、外観は同じように見えるが実は頭だけでかくなってフヤケタ脳みその持ち主に変容してしまったのではないかとさえ思う。肥大化した脳がシルクハットかぶって歩いているようなものだ。つつましく密やかに生きる方が人間の真の幸せがあるのではないかな。話が逸れた。僕はルネサンスにも戻れないし戻るつもりもない。案外ルネサンス以前に戻りたいのかもしれない。ただ、自分の感動を表現するのみ。それが僕の人生の様な気がする。少し気持ちが弱くなってしまった気がする。幕引きが近いのだろうか?焼却頼む。