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性的マイノリティを自覚したきっかけ


僕が、自分のセクシャルへの違和感を
表面化したきっかけは

「腐女子うっかりゲイに告る」

というドラマ。


主人公の男の子が
ゲイであることを隠し女性と
付き合ったり色々葛藤するドラマ。
ざっくりすぎてすんません。

セクシャリティを隠して「普通」に生きよう
という姿が酷く自分と重なった。

数十年前よりはかなーり
多様性に寛容になったいまでも
やっぱりみんながみんなオープンで
いる訳ではないんだな、と。

それまで自分が女性だという違和感は
表に出そうとするたびに家族や周りに
モグラ叩きのように叩きのめされてきたので
とっくに諦め、蓋をして生きてきましたが

改めてLGBTについて理解を深めようと
少し最近のLGBT事情について勉強しました。

そのなかで
「性自認がもっとも尊重されるべき」
という考え方に出会いました。

僕の場合は

性自認→ 男
性的指向→ 男女
身体的性→ 女

FTM(もしくはFTX)のバイセクシャル
という枠が存在していました。

自分で感じている自分の性と
恋愛対象である性と
身体的な性は、多種多様でよい。

これをみたとき、霧が晴れたような
気分でした。

かつて僕は何が何でも自分は「女性」であり
パートナーは「男性」でなくては
はいけない、と刷り込まれていましたが、

自認する性で在ってもよい。

かなり救われる思いでした。

しかし世代の感覚なのか?まだまだ
チキンなボク。
見た目は女性であり、周りから見れば
「少し男っぽい感じの女の人。」

既婚子持ちなのにセクシャリティを
今から説明するのも「なんのために?」の
世界ですし

結局は自分のために普通に「ママさん」を
演じています。

脳内は男の自認が強くて、
体を変えようとまでは思っていないから
偽物と思われがち。

「女でいたくないのは社会のせいでしょ」
と言われがち。

これもなんだか釈然としない。


幼い頃、自分が妊娠するなんて恐怖であり
こどもは産まないつもりでした。

しかし一人っ子で母親も亡くしてしまった僕は
家族を渇望し子どもがほしかった。

妊娠できる体を持ち、子を授かったことには
感謝しかありません。


しかし子を授かり産んだことと
幼い頃からの性別の違和感、
どちらも僕に起きている事象。

先天性なのか後天性なのか、
物心ついたころから自分が女性ということに
嫌悪感しか無かった。これは事実。

後天的に、利き手を治すかのように
違和感感じながらも女の子に矯正され
生きてきた、というのがしっくりくる。

今は母親という役割で、
子どもとの生活は幸せです。

これ以上自分らしさを望むのは
贅沢なのかな、なんて思いつつも
残りの人生くらい自分にスポットを当てて
自分らしく在りたい、と思うのであります。



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