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生きづらさの正体は「性別違和」?

僕は戸籍も見た目も女性ですが
気持ち的には男性を自称するほうが
しっくりくる。

自分を「わたし」と呼ぶのは違和感があり
「ぼく」と呼ぶほうがストレスが無い。

実生活で一人称は「わたし」ですが
そう呼ぶたびに何だか不自然で胸の奥が
もや...っとする。

トランスジェンダーという概念を知る前、
僕の感じる性別に対する違和感は
単なる自分のわがままと思っていました。

多感な時期はまだまだは男は男らしく、
女は女らしく、な時代。

就職や仕事の待遇も男性の方が
やや有利であり、女は男の所有物みたいな
表現がそこら中に存在していたが
それがごく普通のことでした。

そういう女性蔑視のような風潮が
女性性である自分に嫌悪感を抱く原因であり、
他の女性はみんな我慢しているのに、
自分だけ声を上げるのはおかしいと。
本気で思っていました。

やがて違和感抱えつつも結婚し子をを授かり
「ママ」というジャンルに突入。

僕は子どものために可愛いママでありたい、
とかなんとか..なにかと頑張っちゃう一方で、
やはり正体不明のもやもやはつきまといました。

思い返せば、人生常にガムシャラに
自分を偽って生きてきた気がします。
むしろ偽ることが人生の主題になっていた。

しかしそれすらただの劣等感であったり、
自信がなく弱い性格の問題なんだと
目を瞑り、耐えてきました。

「性別違和」というものに向き合ってみると、
これまでのすべての生きづらさの根底には
これが流れていたように思えてきます。

これはもはや僕の人生のもやもやを
紐解く鍵なのかもしれない。


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