オタクの底力!Episode 1
はじめまして、先日Twitterで『きなり杯』というものがあるのを知り、「私にも挑戦できるのではないか」と思い書き始めたのですが、8年分のエピソードがあり1回で書ききれない!
なので、今後も書いていこうと思っています。
今回は私が車椅子で行動に移す事の大変さと、人の暖かさを知った最初のエピソードを書いていきます。
私は、オタク生活が今年で13年。
8年前の交通事故により足が不自由になってしまったのですが、沢山の人の協力を得てオタク生活を続け、後に車椅子での一人旅までやってのけるという体験記です。
それは、長い入院生活から退院後1年と数か月…
手も足も自由に動かせないもどかしさ、自由に外にも出れない状況からか、うつ状態になっていた私。
唯一の楽しみが以前から応援していたKPOPアイドルの活躍を見ることでした。
本当は韓国に行って推しに逢いたい!
オタクなら誰でも思う気持ちがあったのですが、
心の中では
「イベントに一人で行くのなんて無理。」
「ましてや推しが住んでいる韓国になんて、もう一人では行けるはずもない…」
と思う自分がいました。
この時の私は、自分にはもう何も出来ないと勝手に決めつけ、そして諦めることしかしていませんでした。
それがある出来事によって状況も気持ちも一変することになろうとは…
その出来事というのは、「車椅子」という乗り物が私の元にやって来た事です!
車椅子が来た時の感じは、うーん、何だろう?
自分に羽が生えたような感じ?
自由が戻って来た!っていう感じでした。
のちにその感情はもろくも崩れ去っていく事になるのですが、
その時は本当に「絶望が希望に代わっていった」と感じたのは確かです。
その日から「負の感情」を手放し「希望」という光を見出したオタク!
そうなると出てくる感情は、「推しに逢いたい!」という気持ちです。その気持ちが高まり、行動力を呼び覚ますのでした。
それは数年前の12月のこと。
「車椅子」という夢のような乗り物を得た私は、ある韓国のアイドルグループのファンミに参加する為、韓国に行く決断をしました。
推しのファンミに参加する為に、車椅子で初めて行く韓国。
それまで家から出る事などほとんど無く、車椅子で出掛ける事の大変さをまだ知らない私。
頭の中では自分が車椅子ユーザーだという事も忘れ、韓国でやりたい事が次々に溢れてきます。事故に遭う前には2ヶ月に1度位のペースで韓国に行っていたので、知識は十分にあり、独自で旅のスケジュールを組んで楽しみにしていたのでした。
この時の私は、手も上手く動かせない状態だったので、妹に同行してもらっての渡韓となるのですが、この時の出会いが私を一人旅、しかも海外へ!の道を開いてくれるきっかけとなった貴重な出会いがある旅行になるのでした。
初日のスケジュールは韓国到着が午後6時頃の予定です。
普通の人でもこの時間に到着したら、その日は少し買い物をして食事をして終わり!というくらいのスケジュールを組むと思うのですが、私が組んだスケジュールは明洞で買い物と食事をして、午後21時30分位から始まる映画を見た後にタクシーでホテルに帰るという無茶な計画。しかも、映画が終わるのは午前0時頃の予定です。
「映画館は明洞だし、タクシーはいくらでも走ってるから大丈夫!」という以前の私なら十分可能であったスケジュールだったのですが、車椅子の私にはそれが安易な考えだったということは、後で知る事になるのです。
旅行当日、韓国に到着したのが午後6時過ぎ
空港に到着した私たちは、日本語が話せる運転手がいるタクシーを手配する為に、空港のカウンターに行きタクシーを呼んでもうことにしたのですが、日本でもそうであるように、韓国でも車椅子でそのまま乗車できるタクシーはほぼ無く、車椅子を折りたたんで乗せてもらわないといけません。
車椅子を車に乗せるのはとても大変で、日本でも乗車拒否をされる事が多いのですが、やはり韓国でもなかなか車椅子の客に応えてくれる運転手はいませんでした。
空港からは40分位でホテルに行けるのですが、21時30分に始まる映画を見る為には食事をする時間を考えて、遅くても午後7時30分位までには出発しないといけません。(明日見ればいいじゃない?と思われるかもしれませんが、その日のその時間が映画の公開の最終日、最後の上映でした。)
受付のお姉さんが必死に探してくれるのですが、車椅子を乗せてくれる車はなかなか見つかりません。
時間は午後7時過ぎ
諦めかけていたその時に奇跡がおきました!
車椅子を乗せても大丈夫という運転手の方が見つかったのです。
こちらに歩いて迎えに来てくれたのは、やさしそうな運転手さんでした。
その方はもちろん車椅子の扱い方も分からず、苦労をして妹と一緒にトランクへ車椅子を積んで固定をしようとしてくれていますが、韓国は日本のタクシーみたいに荷物を固定する紐を用意していません。
なので、運転手さんはいろいろ考えながら固定しようとしてくれたのですが、なかなか思ったようにはいきませんでした。
それでも諦めずに、最終的にはタクシーのカウンターへ梱包用の紐を貰いに行ってくださり、なんとか車椅子を固定して走ってくれたのです。
走行中も車椅子が落下しないように、韓国のデコボコ道をさけながら注意して走ってくれました。
私は感謝の気持ちで胸がいっぱいになるのと同時に、普通に生活していた時には気が付かなかったけど、当たり前だと思っていた事が、自分には当たり前ではなくなったんだ…と身につまされていたのでした。
そうなると負の感情しか湧き上がってこなくなり、予定していた映画に行くのも無理だとしか思えなくなりました。終わるのは深夜、それに帰る時も今のようにタクシーをつかまえる事なんてできないと。
そう考えると気分はどんどん沈んでいき、妹に「帰りのタクシーはつかまえる事ができないだろうから、映画は諦めようね」と伝えました。妹は残念に思っていたと思うのですが、「そうだね、そうしよう」と言ってくれました。
するとそんなやり取りを聞いていたタクシーの運転手さんが、「せっかく大変な思いをして韓国に来たんだから、映画を見に行きなさい。終わる時間に迎えに行ってあげるから。」と言ってくれたのです。
私は驚きました。初めて乗車したタクシー、しかも外国のタクシーの運転手さんから、そのような温かい言葉をいただけた事に。
嬉しさと感動で、涙が出てきて止まりませんでした。
せっかく提案してくださったご厚意をありがたく受け、私たちは映画を見に行く事にしました。
その後、運転手さんのおかげで予定より早く明洞に到着でき、運転手さんとは待ち合わせ場所と時間を決めて一旦別れました。
その後私達は、買い物と食事を少しとろうと思ったのですが、現実はそんなに甘くはありませんでした。
歩く事ができた時には気付きもしなかったのですが、お店の前には段差が多くて入る事もできません。せっかく一緒に来てくれた妹に韓国料理を食べさせてあげる事もできないのです。
でも、そんな事でめげている場合ではありません。
欲しい物があるお店には妹に入店してもらい、商品を入口まで見せにきてもらって買い物をしていきます。店員さんも商品を説明しに外に出て来てくれます。そうして私も妹も欲しい物を購入することが出来たのです。
やれば出来る!
それに、ちゃんとした食事は出来なかったけど、屋台で食べたいものを買って食べました。それだけで、心はとても満足でした。
その後映画の時間になり妹と二人、映画館で楽しい時間を過ごしました。
終わって時計を見たら、なんと待ち合わせの時間から20分も過ぎていたのです。
慌てて映画館を出ると外は一面の銀世界、さっきまで降っていなかった雪が積もっていました。
私達は「もう、運転手さんいないかもね。20分も遅れたし、雪だしね」と諦めつつも待ち合わせ場所まで向かおうと映画館を出たその時
目に映ったのはあの運転手さんでした。
雪の中、時間になっても来ない私達を歩いて迎えに来てくれたのです。
道は凍って車椅子も妹はうまく動かせずにいたので、妹に代わって車椅子を押してタクシーまで連れて行ってくれました。
あの時の雪が降り積もる中、立っている運転手さんの光景が今でも忘れられません。
もう、感動と感謝で何度お礼とお詫びを言った事か。
その後ホテルに着いた時、何かあったら連絡してきなさいと名刺をいただきました。
もちろん、この滞在中の送迎をお願いしたことは言うまでもありません。
そして、この出会いが今後私に自由と勇気を与えてくれる事になるとは思ってもいなかったのです。
それは続きで書いていこうと思います。
行動するということは、壁にもぶち当たるが、得るものの方がその数百倍も多いということ。
それはハンディがある私達だけで無く、人間皆同じだと思います。
それをどう受け止め、どう感じ、どう次に繋げていくかで人生の楽しさが増していくのだろうと思います。
最後に、この企画のおかげで、noteという場所を知れたこと、そして挑戦しようと思う勇気を与えてくださった岸田さんに感謝したいと思います。
ゆっくりですが、続けていけたらいいな…
サポートいただけたら嬉しいです💙