海の思い出
ある朝、小学校一年生だった息子が目にいっぱい涙を溜めている。
「きょうは、がっこういきたくないの。」
「え?どうしたの?何かあったのかな?」
「……いきたくない。ママといっしょにいたい。」
その頃の私は仕事が忙しくて、息子は小学校の後、学童保育に行き、その後はファミリーサポートさんのお家で過ごし、夜遅くにお迎えに行っていた。
息子が生後3ヶ月から私は仕事復帰して、休みの日もバタバタして、ゆっくり一緒に過ごす事が少なかった。
さみしい思いをさせちゃったな。
職場に連絡して上司に事情を話すと、「そういう時は息子さんと一緒にいてあげなさい。1日楽しんで来て!」と言ってくださり、深く感謝した。小学校にも連絡して二人で臨時のお休みを取ることになった。
息子は「ぼくもママもおやすみしてごめんなさい。」としょんぼりしている。
「いいんだよ、今日はママと楽しいお出掛けだぞ!さて、どこに行こうか?」
「うみにいきたい。」
なんだかワクワクしてきた。とりあえず、海に行こう。湘南の海だ!サザンの稲村ジェーンのように、稲村ヶ崎に行こう。
♪四六時中も好きと言って〜 夢の中へ連れて行って〜♪と真夏の果実を歌いながらリュックと水筒を用意した。
奮発してロマンスカーに乗った。プラレールよりトミカ派だった息子もロマンスカーには目が輝き始める。電車好きの私もウキウキする。
藤沢駅から、緑色の二両編成の大好きな江ノ電に乗り換えて海へと向かう。電車の幅ギリギリにお家や植物が並び、ゆっくりと通り過ぎる。車の通る商店街の道路を走るときは、息子が「せんろじゃないの?」とビックリしている。江ノ電と江ノ電がすれ違う時は息子が窓から小さな手を振った。すると、向こうの窓から知らない人が手を振り返してくれる。山のトンネルを抜けると海が見えた。
「うみだー!」息子の声が可愛らしく響く。
優しい時間だ。ずっと忘れていた。
(江ノ電の中から撮ったすれ違う江ノ電)
季節外れの稲村ヶ崎の海岸には、犬の散歩の人が歩いているくらいで人がいない。
少し冷たい海風が気持ち良い。石の階段に息子と二人で座って海を見ていた。凪がゆっくりと砂浜に泡を立てる。
何を話したのかは覚えていない。でもとても楽しかった気がする。帰りの電車では二人でぐうぐう寝ていた。
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それから毎年コツコツお金を貯めて息子と夏休みに湘南に旅行に行くようになった。
由比ヶ浜に宿を取り、先ずは駅前のたいやき屋さんでかき氷を食べる。
一度宿に荷物を置き、水着に着替えてから海へとテクテク歩く。浮き輪で日が暮れるまでプカプカ浮かんだり、ボディボードで泳いだり、長谷寺までの道を散歩した。毎年同じ海の家に行っていたので、名物お母さんが「今年も来てくれたのね!」とビールをサービスしてくれた。
何年かしてからは、元気だった父も加わり親子三代での由比ヶ浜の旅行になった。
三人で真っ黒に日焼けして、背中が痛いねーと言いながら夜ちょっと美味しいものを食べるのが楽しみだった。
(由比ヶ浜駅から長谷寺までの道の途中にある古民家を改築したとっても美味しいカレー屋さんのカレー)
海へ行くとなぜだか心が落ち着く。時間の流れ方が違う気がする。
(江ノ電の窓から見える海)
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息子が高校二年生の夏、反抗期真っ只中で「旅行は行かない。」と冷たく言われた。
来年は大学受験だし、もう最後かもしれないからと、ほぼ無理やり連れて行ったがニコリとも笑わない。父も困った顔で私と息子に話し掛けている。
一緒に撮った写真も全て変な方を向いていた。
それから親子三代の由比ヶ浜の旅行には行っていない。
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あれから7年経った。
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仲良しさんからキレイな海の写真が送られてきた。お土産欲しい物あるの?と聞かれたので、海の写真が良いとお願いしていた。
うっとりするくらいキレイな夕方の海の風景。潮の香りやペタッと髪に張り付く海風を思い出す。
(波の音がしそう)
「海行きたいなー。砂浜を歩きたい。」と、私が言うと、隣りにいた息子が
「そういえば由比ヶ浜の旅行にはずっと行ってないね?」と言う。
「は?自分でもう二度と由比ヶ浜の旅行には行かない!って言ってたじゃん。」
「え?オレそんなこと言ったっけ?」
反抗期の思い出話をすると
「あらら、ごめんね。おじいちゃんが元気になったらまた行こうよ!」と息子は笑っていた。
いつか孫とか生まれたりして親子四代で由比ヶ浜の旅行に行きたいなぁ。
オトンも私もまだまだ元気でいないと!想像するだけでニヤニヤしてしまう。
今年の夏は海に行きたい。
また楽しい思い出を沢山作りたいな。
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反抗期の高校生だった息子と、まだ若かった?私が片瀬江ノ島駅から江ノ島の島へ向かう歩道橋から海を眺める絵を描きました。
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最後まで読んでくださりありがとうございます。