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夜空を見上げて

右目だけ急激に視力が落ちてしまい、月はハッキリ見えるけれど、星はぼやけ星座を見つけるのは難しくなってしまった。
とても澄んだ空気の日、街も静かになった夜中にはメガネをかけなくても夜空を見上げると星座を見つけることができる。

いくつかの小学校の星空好きの子ども達が集められ、月に何回か「星座研究クラブ」が開かれており、私も参加していた。
一人一枚、丸い星座盤が手渡され、それを見ながら星座の形やストーリーを先生が教えてくれる。

駅ビルの屋上にあった小さいプラネタリウムに、何度も通い、季節によって見える星座は違うんだ!沢山、沢山信じられないくらい星の種類があるんだ。
地球が動いているから、星座も時間が経つごとに動いて見えるんだ!
大昔の世界中の人達は星座を見て、こんなことを考えていたのか。

先生が教えてくれたこと、プラネタリウムで見たり聞いたりしたことを思い出しながら、星座盤を持って家を抜け出し、近所の山で夜空を見上げるのが大好きだった。

今日は冬の大三角形(シリウス、ペテルギウス、プロキオン)がハッキリ見える!

今日は曇っていて、夜空の色もなんだかくすんでいるし、月も星も隠れていてつまらないな。

雨が降っているけど、きっと雨雲を突き抜けた遥か先には星達が今夜も輝いているんだろう。

惑星って不思議だな。大きくて、何も生物がいなくてシーンとしてるのに存在している。
何光年も離れているって行くこともできないのにどうやって分かったのかな?
光って見えるのに生きてない星ってなんだろう。
ブラックホールって本当にあるのかな?

夜空を見上げては考えていた。

今は星座の種類も、名前も、ストーリーも殆ど覚えていない。
でも、つい見上げてしまう。

夜空を見上げると只々果てしなく広く深い闇にキラッと光る星が見える。

「なんて私はちっぽけなんだろう?」

その気持ちは、ワクワクドキドキして夜空を見上げた幼い頃も、深い悩みや苦しみを闇の中に全て放り出したくなる大人になった今も変わらない。

私はちっぽけなんだけれども、心の中には宇宙なのかなと感じるくらい、いろいろな思いが漂っている。

学生時代、真夏に友達と旅行で新潟に行った時、雪が降っているのか?と驚くような星空を見た。
後で知ったのだが、その日は流星群の日だったようで、どれが何の星座だとか見分けることのできない無数の星の間を、幾つもの流れ星がビュンビュンと飛んでいた。
だから星達がまるで雪が降っているかのように見えた。
友達とありったけの願い事を流れ星に叫んだ。
もう、お願いすることないね、と言って静かにいつまでも雪のような星達を眺めていた。

輝く星に 心の夢を
祈ればいつか 叶うでしょう

きらきら星は 不思議な力 
あなたの夢を 満たすでしょう

人は 誰もひとり 哀しい夜を 過ごしてる

星に祈れば 寂しい日々を
光り照らして くれるでしょう

私は、
人を信じるのが怖い。自分に自信もない。
どう自分を表現してよいのか未だにわからないし、心の重い扉を開いて曝け出してありのままを伝えると失敗することばかりだ。
それなのに人が好きだ。でも失敗して自分が嫌になる。人から離れる。
人が、自分が、怖くなる。そしてまた心を閉ざす。
矛盾している。
心の声を上手く言葉にすることができない。
頭の中でごちゃまぜになって溢れ出て出てきた声は、吐き出せなかった思いがガチガチに固まってて、または粉々になって軽い塵のようになり、酷く人を傷つけてしまうことがある。
自分が傷付くことにはとても敏感なのに。
人に対してはビックリするほど鈍感だ。
そして私はいつもそれを直ぐには気付けない。
後から気付いてどんなに申し訳ないと思っても、もう取り消せない。
心は深い闇に包まれる。

夜空を見上げる。

青と黒を混ぜたような色の空と、その中で光る月や星は静かだ。
雲がフワリと緩やかに流れていても。
私が何を言っても、何も言わなくても、静かだ。

静けさの中で、心の闇の黒と、夜空の青が混ざり合う。
その中で私は心や体の重い荷物も無くなり、自分が透明になっているように感じる。
私の目からは小さく見える星も、ちっぽけな私も、
生きているうちには永遠に辿り着けない距離なのに私も混ざっているようだ。

夜空が好きだ。



やがて眠りにつき、朝を迎える。

太陽が、
空を、私の心を明るくしてくれる。

・・・

夜空を見上げる絵を描きました。

星座盤

読んでくださりありがとうございます! 嬉しくて飛び上がります♪ 私の心の中の言葉や絵を見て何か感じてくださればいいなと願いつつ。