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焼肉事件

フン・フ・フンフン♪

先ずはあれですよ、あれ。
「生ビールくださいっ!」
グビッ、ゴクゴク…「うんまぁーい!」
ビールを飲みながらメニューを見た。さて何から食べようかな?

とりあえずホルモン?それとも大好きなカルビいっちゃう?
ホルモン食べて、カルビは後のお楽しみにするか。あとキムチだな。
いひひひひ。

小皿にタレをスタンバイ。

ホンモンの焼けるいい匂い。
お店中から焼肉のいい匂い。
活気ある店員さん達、程よく賑やかなお客様達の笑い声も、私のテンションを上げる。
キムチを食べ、肉が焼けるのを待ちながらメニューを見て次の肉を考える。
んー、やっぱりタンだね。
はい、タン追加!

ちょうどホルモンが焼けたので、パクリと口の中へ。
ハフハフ。
これよ!この歯ごたえ。ジュワッと滲み出る旨み。たまらんねぇ。
はい、ビール追加!
タンも来た。ホンモン、タン、ホルモン、タンと少しずつ焼いて楽しみながらビールを飲む。
旨いねぇ。
そろそろカルビ?

あ、そういえばスマホの充電ギリギリで電源切ってたんだ。そろそろ入れるか。

電源を入れた瞬間に電話が来た。
知らない番号。
んー?出るか迷うけど一応出てみるか。

「こちら◯◯警察署の◯◯と申しますが、じゅんみはさんの携帯電話で間違いないでしょうか?」

え?警・察・署ですと?

「あ、はい。私じゅんみはでございます。何かありましたでしょうか?」
「今、どちらにいらっしゃいますか?」
「焼肉屋さんでひとりで焼肉を食べております。」
「それなら良かった。焼肉は美味しいですか?」
「あ、はい。とても美味しいです。」
「そうですか。安心しました。実は息子さんから捜索願いが出ていましてね。とても心配されていますので、連絡してあげてください。」

捜・索・願い?

「ご迷惑とご心配お掛けして大変申し訳ありません。お手数おかけいたしました。直ぐに息子に連絡します。」

警察署の方は物凄く優しい声だった。
捜索願いを出されているともつゆ知らず、フンフンひとり焼肉を堪能していた私なんぞのために、わざわざパトカーも出動させて捜索してくださっていたのだろうか?
そして「お母様が焼肉を美味しく食べていらしていて、安心しました。」とは。大変申し訳ないことをした。

息子は捜索願いを出す程、何か相当心配しているのだろう。

只事ではない。

息子に用事があってラインしたのは、たった数時間前。
直ぐに息子にラインしようと、最後に私が送ったラインを見る。

いろいろ用事を書いた最後に

「もう何もかもどうでもよくなっちゃった」

と心の声がダダ漏れになってそのまま書いてある。そして、その直後にスマホの電源を切った。
私は大変なことをやらかしてしまった。
そりゃあ、心配するよ。

一気に酔いは覚め、チャララーンと顔に縦線が流れる。

息子に
「今、警察署から電話が来た。心配かけてごめん。ひとりで焼肉食べてる。充電なくなりそうで電源切ってた。」
とラインした。

秒速で息子から電話が来た。深呼吸して電話に出る。
「焼肉美味しい?」
「うん美味しい。ビールも飲んでる。心配かけてごめんなさい。」
「じゅんみはさん、ひとりで食べたいの?」
「いや、そんなことないけど。この前誘ったら断られたし。」
「俺も食べに行くよ。どこの焼肉屋?」
「◯◯ってとこ。場所わかる?」
「調べるから大丈夫。食べて待ってて。」
「うん、ごめんね。ありがとう。」

酔いは完全に覚めた。
気を落ち着かせるために、もう一杯飲んでおくか?いや、やめておこう。
とりあえず食べて待ってて、と言われたのでちびちび食べる。
味がしない。

怒られるのか?お説教されるのか?想像がつかなくて怖い。

10分ちょっとで息子が来た。

その後ろには背が高くて黒いマスクをした強面な人がいた。
もしや警察官?ビックリして直視できない。このまま警察署に連れて行かれて事情聴取とかされるのであろうか?

私がカウンター席に座っていたので、息子が「こっちのテーブル席に移動しても良いですか?」と聞くと、店員さんはニコニコして、どうぞどうぞ!と案内してくれた。

背の高い黒いマスクの人も座った。
震える声で
「心配かけてごめんなさい。」
と言うと
「焼肉美味しい?」
「うん美味しい。」
もう味しないけど。

背の高い人が黒いマスクを外すと息子の父親、元旦那だった。
やっぱり強面…じゃなくて顔が濃いだけだ。なのにビクビクして声が出ない。

「じゅんみはさん、何かあったの?」
優しい声で息子が聞く。

「何かいろいろ疲れて嫌になっちゃって。ずっと忙しいのに、食欲なくてご飯も全然食べれないし。
そんな時は『お肉食べれば元気が出るぞ!』って思って焼肉食べてた。
変なライン送って、スマホの電源も切って、心配かけて探させて本当にごめんなさい。警察署の方達にまでご迷惑かけてしまって。」
二人に謝る。
「そうだったんだね。」

黙って話を聞いていた元旦那が
「とにかく食べなさい。何が食べたいんだ?」
「…カ、カルビ。」
「カルビ三点盛りください。あと烏龍茶2つ。ビールもお代わりするか?」
「うん。」
「あと、ビールもお代わりで。」と注文した。

え?お説教大会が始まるんじゃないの?

カルビと烏龍茶、ビールが来るまでに息子が話し始めた。

「じゅんみはさんのライン見て、これはまずいと思ったんだ。だからお父さん(元旦那)に電話して、車で一緒に探して欲しいと頼んだ。
そしたら『あいつは思い詰めるところがあるから、直ぐに捜索願いを出しなさい』と言われて警察に連絡した。
暫く二人で近所を探し回ったけれど、見つからないからじゅんみはさんの大好きな海に行こうと話をしていたところでラインが来た。」
「仕事は?」
「今度12時まで残業するので帰らせて下さいって頼んだら、うちの会社は12時まで残業とかないから早く帰りなさいって言われて早退した。」
「ごめんなさい。」
絞り出すような声で言った。

・・・

私は疲れ切っていた。

シングルマザーで長い間息子とふたりで生活していた。
息子が独立し、さて私も頑張るぞ!と思ってやっていた派遣を切られ、落ち込んでいた。そのタイミングでオトンとの同居が話が出て、オトンは
「もう直ぐに、じゅんみはちゃんの家に引っ越すよ!」
と目をキラキラさせてウキウキしていたので、同居が決まった。

オトンは耳が殆ど聞こえなくなってから、大好きだったロードバイクに乗れなくなった。聞こえづらいから仲良しの友人達とも会話が上手くできなくなり、家に引き篭もっていた。

私は暫く仕事が忙しくて様子を見に行けていなかったが、一回目の緊急事態宣言で休業になった時に行った。
オトンは気力も体力も食欲もなく、鍛えた体もやせ細ってベットで小さく丸くなって寝ていた。
家はゴミ屋敷になっていたので大掃除をしてから、時々通っては、家事をしてお昼ごはんを一緒に食べていた。
元々お喋り好きだったオトンはすっかり無口になっていたが、少しずつ喋るようになり笑顔も増えた。
同居が決まったら、そのオトンの目がキラキラしている。

よーし!任せろ!

と、同居の準備を始めたが、想像していた100倍くらい大変だった。

私はお腹の手術と乳がんの手術、治療をして同年代の人達より体力がない。お腹も右腕も力が入らない。悔しいしもどかしい。

息子は仕事が猛烈に忙しい。兄とはなかなか連絡が取れず、やはり忙しいので手伝えないとのことだった。

息子の部屋がオトンの部屋になるので、ひとりで自宅の大改造と、オトンの家の引越し準備、いろいろな事務手続きがあり、自転車で走り回っていた。
更に作業をしていた5月〜7月は、猛暑が続いていた。

動き回っているのに疲れ過ぎてご飯が食べれない。
作業に集中すると、つい重いものを運んでしまったり、休憩も忘れる。体中が痛い。
スポドリだけは沢山飲んでいたけれど、ヘロヘロだった。

もう直ぐオトンが家に来るのに作業が追いつかない。
そして息子に、私の心の声がダダ漏れになったラインを送ってしまった。
本当にすまん、息子よ。

・・・

いつの間にか元旦那がカルビを焼いてくれていた。
「まあ食べなさい。」
「うん。」
下を向いたまま食べる。
「美味しいか?」
「うん。美味しい。」
本当に美味しかった。ちゃんと味がする。

「あのさ、俺とお前はダメな親なんだよ。そうだろ?だから息子くんに心配かけるのは仕方ない。
だけどな、お前の悪いところはいつもひとりで全て抱え込もうとすることだ。ひとりで全部出来ることなんてないんだよ。余計に息子くんに心配かけるだろう。」
元旦那が言う。

「うん。」
涙がポロポロ出てきて箸を持つ手に落ちる。

「もっとみんなを頼るんだよ。
俺だって、俺の両親だってお前のことを今でも本当の娘だと思っていつも心配しているんだから。な、だからカルビ食べな。」

元旦那とは会っていなかったが、離婚して20年くらい経った今も、お義母さんお義父さんは本当に優しくて、いろいろ相談したりお世話になっていた。
濃い顔の元旦那も、その時とても目が優しかった。

「そうだよ、いっぱいいっぱいになる前に連絡してよ。ご飯もちゃんと食べないと。」
息子も言う。

じゃんじゃん涙を流し、嗚咽しながらカルビを食べる。
パクパク食べる。ビールも飲む。お肉もご飯も追加した。美味しい。物凄く美味しい。涙も止まり完食した。

『ダメな親でいい。ひとりでやらなくていい。辛い時は、頼っていい。』

お腹もいっぱいになって、心もホッとした。
息子も元旦那もニコニコしている。

「今お前は、何に一番困っているんだ?」
「メダカの水槽を運ぶこと。」
「は?」

オトンが兄にプレゼントしてもらって大切に育てているメダカと、海老の助、貝太郎。

兄が用意した二代目の発泡スチロールの水槽は、ジワジワ水漏れしていて、置いていたテーブルにカビが生え、陽当りの良い畳に置かれていたが、畳もグシャグシャだ。
私は中古だけど、ほぼ新品の大きくてキレイな水槽を買った。

オトンが我が家に来る前に、新しい水槽を運んでメダカ達を先に連れて来ようと考えていたが、全て自転車でやるつもりで悩んでいた。
いかに新しい水槽とメダカを安全に自転車で移動させるか。

今思えば、単純にビニール袋にメダカ達を入れて家に連れて来て、新しい水槽に入れれば良いだけだったのだけれど、その時はそんな頭も回らなかった。

「わかった、手伝う。直ぐやろう。」

数日後、息子と元旦那が仕事終わりに車でメダカの移動を手伝ってくれて無事、我が家に到着した。

にゃんか水の中で動いてる
気になるにゃあ

そして、オトンが家族のように大切にしてきたロードバイクも、引取先がなかなか見つからなかったが、昔のサイクリング仲間の息子さんがやっている自転車屋さんで引き取ってもらえることになった。次の自転車好きの人に使ってもらえる。
その時も、本来なら自分で持って行かなくてはいけないのに、事情を説明したらわざわざ取りに来てくださった。

記念撮影をして
自転車とお別れし父娘で泣いた

その後も、コツコツやっていた我が家の改造。大きな家具の移動も、読書好きの息子の本棚にある、床が凹みそうなくらいの本達を種類別にまとめ紐でくくるのも、息子が貴重な休みを使って手伝いに来てくれた。

元旦那も車が必要な時は、息子と一緒に手伝ってくれた。

とりあえず、最低限の衣類だけを持って、オトンを我が家に連れて来た。
とても嬉しそう。
オトンが来てからは、作業しつつオトンのご飯や家事などをする。

オトンのお昼ごはんは、近所の宅配弁当をやっている居酒屋さんに頼んだ。

今度はオトンの家の本格的な引越し準備と、引越しが終わったら我が家に届いた荷物を片付ける。

引越しの日は、息子の友達が「任せてください!」と手伝いに来てくれて、我が家に着いた荷物を運んでくれた。

引越し屋さんはとても優しかった。
右手を上げ続けると痛いのを伝えたら、サービスで高いところの家電や食器を全て下ろしてくれた。粗大ゴミシールを貼ったが、どうやってゴミ置き場まで持っていくか困っていた重い家電も運んでくれた。

引越しが終わると、大量の不用品を分別し、ゴミ袋に詰め、大掃除というミッションがある。

押し入れやベランダの物置から、不用品がワンサワンサと、ホコリと虫と共に出てくる。
袋詰めするだけでヒーヒー言ってやっていた。大量のゴミは、何十袋になった。
オトンの家は4階。そこから下まで降ろし、少し離れたゴミ捨て場まで私は運べない。

それも中学の同級生が、私の弱音も聞いてくれて「そんなの全然楽勝だ!」と、力自慢の若者達を連れて来て、大量のゴミ出しや、最後の掃除まで全てやってくれた。

いろんな人達に頼って、協力してもらい作業は全て終わった。
手伝ってもらったり、応援や励まして頂き、助けてくださった人達みなさんのことを思い、深く感謝してボロボロ泣いた。

オトンと私、にゃんこ3匹とメダカ達での新しい生活が始まった。

同居を始めて、オトンはモリモリ元気になっていった。
今ではご飯も私の倍くらい食べるし、嫌がっていたお風呂にもウキウキ入る。体重も増え、お肌も艶々。
モーニングポタリング(朝散歩)したり、大好きな時代劇や相撲のTVを観て、隣に寝ているにゃんこにデレデレ。
いつもニコニコ笑顔でオトンおもしろ語録を炸裂させ、いきいきしている。

小さく丸くなって寝ていた頃とは別人のようだ。

我が家に来た当初は、寝ると「あーあ」とよく言っていた。
心配で見に行くと熟睡していて寝言だった。
長い独り暮らしの間、いつも寝言で「あーあ」と言っていたのだろうか。
寂しかったのかな?辛かったのかな?
暫くするとそれもなくなり、朝は「昨夜は次女ちゃん(猫)と寝てね、重かったけど温かかった。へへっ、猫たんぽ。夜中は足の置き場バトルして掛け布団が落ちたの。」と喜んでいる。
最近は、父娘で朝ラジオまで始めた。コメントを読み聞かせる度に幸せそうで、今ではオトンの方が張り切っている。

食事中、オトンの方が先に食べ終わるのでスマホでYou Tubeを見始める。
「ちょっと!反抗期の子どもじゃないんだから、二人で『ごちそうさま』するまではYou Tubeやめてよね!」
なんて私にお小言を言われるくらいだ。
息子には、それくらいは可愛くていいじゃない。じゅんみはさん心が狭いなあ。と言われるが、私も
「嫌なことは嫌!」
と言えるようになった。

最近は、私の体調がよくなかったので、オトンが家事を積極的に手伝ってくれている。
「ありがとう。本当に助かる。」と言うと「お父さん何でも出来るようになったよ!」と満面の笑みで嬉しそう。

今、あの日のことは
『  焼肉事件  』
として笑い話になっている。

けれど
『  焼肉事件  』
がなかったら

「できないことはできない」
と認められず、人に頼ることへの罪悪感を払拭することもできなかっただろう。

「ひとりでやらなくてはいけない。できない私はダメな人だ。」
と、ずっと責め続け、具合が悪い時に、オトンに頼ることもなかっただろう。

助けて手伝ってくださった人達の優しさや、温かさを知ることもなく、感謝の気持ちも持てずに

「なんで私だけがこんなに苦しいんだ!体力のない自分が嫌だ!」
と思っていたかもしれない。

友人が「後から辛かったって聞くより、頼ってもらえることの方が嬉しいんだよ。じゅんみはちゃんだってそうでしょう?大切な人の役に立てるって嬉しいよね。」と言ってくれた。うん、そうだよね。

あれから、たまに息子から連絡が来た時に
「もう辛いからさ、ふて寝するか焼肉食べに行こうか迷ってるんだよね。」
と冗談半分に言うと

「焼肉食べに行きなさい。」
と笑って言われる。私も笑う。
それだけでホッとする。

もう少しオトンが硬い肉も食べれるようになったら、息子も友達も我が家に招待して「焼肉事件」ではなく、「焼肉パーティー」をしたいと思っている。

もう『  捜索願い  』が出ることはないだろう。


息子と長女にゃんこ
次女にゃんこと三女にゃんこに
デレデレオトン
今日も「丸!」な一日にしよう

一一一一一一一一一一一一一一一

この『焼肉事件』は

あまりにも私がおバカ過ぎて、封印しておくつもりでしたが、今回「私だけかもしれないレア体験」に応募するために書いてみました。

オトンとの同居の途中経過を何度もnoteに書き、沢山のnoterさん達の励ましや応援にも、いつも助けられました。
みなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。




読んでくださりありがとうございます! 嬉しくて飛び上がります♪ 私の心の中の言葉や絵を見て何か感じてくださればいいなと願いつつ。