すきなことをたくさんみつけよう
二年ほど前、近所の小学校から一日先生の拝命を受けた。
小学三年生~中学三年生を対象に、自由に授業をして欲しいとの依頼。
そこでした話が自己紹介がてらnoteの練習になるのではないかと思い、ここに書いてみようと思う。
僕の名前は、丸山純です。
静岡県の朝霧メイプルファームで牛を飼っています。
乳牛がおよそ500頭いる、大型牧場です。
メイプルファームには若い仲間がたくさんいます。
朝霧高原はとてもいいところで、僕は朝霧高原が大好きです。
ここからが本題。子供たちに何を話そうか、僕は考えた。
自分が子供だった時のことを思い出してみる。
昔のことを思い出すとき、僕の頭に浮かんだのは
そのころ夢中になったものだった。
これが僕がすきだったもの、一覧。
小学三年生、赤塚先生のこの本に僕は衝撃を受けた。
重力、ビッグバン、ブラックホール、自分の想像の埒外の事象がこの世界には存在している。
いわゆる第一次宇宙ヤバイ期のおとずれ。
小学4年生ころ。僕はひたすらアホだった。
口を開けばウンコ、口を閉じればオナラ状態。
このスライドに移ったとき、男子からは爆笑。女子の失笑。久しぶりに女子の軽蔑する目線を感じたなあ。
先生方は苦笑い。その時僕を招待した校長先生は、僕の1年生の時の担任だった。先生ごめんなさい。申し訳なく思います。本当は思っていません。あのころからずっと反省していません。
五年生頃、僕はよっちゃんと毎日サッカーで遊んだ。
俺たちは二人しかいなかったから、ずっとPKをやっていたんだ。
なぜPKなどというシンプルなルールをずっと続けたのか?
それは俺たちが二人しかいなかったからだ。
〇〇ピースって俺が子供のときからやってるけどいつ終わるの?
ジャンプよんでる人? って聞いたら女子の方が多くてパラダイムシフトを痛感した。
このあたりでようやく真面目な話をして保護者と先生の溜飲を下げる作戦。
実際英語の授業は本当に好きだった。僕が脚本を書いて皆で演じた英語劇、「タイガーボール」はドラゴンボールなみのハチャメチャな感動がおしよせてくると話題に。
ギター弾き語りブームにのってアコギを練習した。
牛舎で子牛に向かって披露していた、ある冬の思いで。
なんでも自由にやっていい授業で、僕はひたすらコント作りに専念した。
昼休みに放送室からそれを勝手に放送したアナーキーな活動は、青春の1ページ。
大人になった今、思うこと
こどものころ夢中だったもの、すきだったもの、それらを振り返ってみて思ったことがある。
今僕は牛飼いで、まったく仕事に関係のないようなことなのに、それらすべてが、今の自分に繋がっていると思う。
今僕は学生向けや、大勢の人に話す時に、必ず心掛けていることがある。それは必ず笑いを狙いにいくということ。大体がすべるか、よくてややウケなんだけど、心のハードル、壁をなくすことができる。第一笑ってもらえると僕はとてもうれしい。
大人社会はストレスの連続だ。みんなの周りにいる先生たちもストレスと戦っているぞ。そう言ったら先生たちは笑っていなかったなあ。あんまり触れちゃいけなかったのかもしれませんね。
とにかく息抜きは重要。
漫画の半分は、文字。文字を読む楽しみはやがて小説を読むことに繋がった。そして僕は自分の本を出す事ができたと思っている。
英語が話せると大抵の人と話せる。ネパール人の修行僧には通じなかったけど。
大人社会はストレスのれんぞk……(略)
趣味があると友達もすぐできるよ。大人になると建前ばっかりで友達って全然できにくくなるよ!ってキッズに教えときました。
僕は牧場の仕事をする前に、一度映像の仕事についた。いろいろあって(いろいろあって)すぐにやめちゃったけど、人に分かりやすく直感的に伝えるポイントは、この時に覚えたと思う。
そして最後に宇宙。僕は月を見るのが好きなんだ。一日に何度もみちゃう。だから僕は自分のこどもの名前に、月を付けた。僕はこの名前が世界一すてきな名前だと思ってる。それは僕が宇宙を好きになったおかげだと思う。
すきでやっていたこと
すきでやっていたことは、かならずいつか役に立つ。
大人になった今、僕はそう思う。
嫌々やっていたことも、結構役に立ってるとは思う。
それも大切だったと思う。
でも、夢中になったことは、もれなく全部役にたつ。きっとそう。
だから、すきなことをたくさん見つけよう。
講演を終えて
中学三年生の生徒会長が、感想を言ってくれた。
「僕は、パソコンが大好きです。
将来はプログラマーになりたいと思っていました。
すきなことはきっとやくにたつって言葉に
勇気をもらえました。自分のやってることが間違ってないと思えました」
いつかIT社長になった時に、俺の名前を出してくれ、と思った。
以上です。
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