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獅子丸花魁の「歌麿」を見た感触と妄想、花魁の声

 2022/03/13、獅子丸花魁の歌麿を見てたまらん幽閉感を感じましたので、その感触残った脳みそのまま好き放題な妄想を述べます。ほとんどの部分は私の脳みそのなかの大きく広がった世界の話。


わっちを画面に閉じ込めた浮世絵とわっちを遊郭に閉じ込める花魁という地位に対する、愛憎を込めて。


「わっちの生まれはここ朝陽屋でありんす。数年前、伝説と言われた花魁は知っていなさんしょ?その伝説の花魁の一番綺麗な時、腹ん中にいたのがわっちさ。生まれた時から赤襦袢をくわえてた、この廓の外に出たことも出たいと思ったこともないのさ。」


「夜ごと夜ごと、何人の主さんがわっちの体を通り過ぎて行きなんしょ。手垢まみれの汚ねえ体ということを実感する、1人で入る風呂は辛くて好かんせん。」
「張見世にはじまり今じゃ道中はるわっちの姿。何人の視界に入ったんでありんしょ、何個の目で捉えられたんでありんしょ。
 ああ、もうたくさん。人の視線に触れるたびカラカラと乾いた音でわっちの心が笑うように泣いているのを感じていなんした。わっちの花がどんどん枯れていくのに疲れていた、そんな日のこと。
かむろの1人が嬉しそうにわっちのもとに駆け寄ってきて「ししまるおいらん!!あんたのこと、うわさになってる!うきよえになったんだ!えにかいたみたいにきれいな、ねえさん、えのなかでもすっごくきれいだ…!」と。
絵の中のわっちは動きもしないのに話しかけてくるような目をしておりんす。」
「絵の中のわっちは面のように動かない顔をしていなんす。そんな顔していたくない、貼り付けられたような顔なんて取っちまいたい。勝手に切り取られた表情で小せえ紙切れん中閉じ込められて。でも、そこでしっかり息をしているようにも見えなんす。」


「絵の中の獅子丸花魁が大衆の目に触れては勝手に対話して摩耗していく様子が耐えられないのでありんす。その感覚は、張見世や道中によく似ていなんす。
カラカラ。」



「遊郭から出たこともない花魁としてのわっちなんて、絵に描いて閉じ込めておきたいほどのものじゃありんせん。わっちを遊郭に閉じ込めて花魁という立ち位置から一歩も出られなくしたのが人生か、わっちのことを絵にして刷ってたくさんの人の目に晒して何になる。
いっそ、望まれる姿のまんま、人生で一番綺麗なまんまで、ぷっつり終わりにしなんせ……」


 (かつて、一番綺麗な時に獅子丸を産んで死んだ母のように死す。)


 だからさ、「まるで」とは言いつつまじで絵にされてしまった女を想像したって話〜!浮世絵師の画力と表現を恨むまであるような話〜〜!


 そして、歌麿が花魁の客であっても、花魁を取り囲む有象無象の中の1人でもいい。花魁の客であった場合、花魁と女の中で熱量を持って揺れる人間を「描写対象」以上に見ない心の芯の凍った客であってほしい。し、花魁を取り囲む有象無象であった場合、いっときの消費物として花魁を楽しむ心を持つ男であってほしい。

 ちなみに、解像度増すためにちょろっと調べてみた歌麿の絵で息詰まらせました。描かれた彼女たちのことを思って、ちょっとだけ泣いた。彼女たちも彼女たちなりに、命削りながら女を売って生きていたんだなあ。なんと生々しい絵を作る人かと。


 花魁で饒舌になりすぎて困った、ではね🤘

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