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「阿部定」の声で「惚れたが悪いか」を聞く

 今回は純米🌾と一緒に阿部定の純愛🔪を見てみよう!後半で、阿部定の予審訊問調書と歌詞を照合していきます!(ぶっ飛ばしたい方は目次からどうぞ)
 そして、最終的には🦁の舞踊を振り返ってみよう!なので、正しくは「阿部定」を知り「惚れたが悪いか/石川さゆり」を聞き「兜獅子丸」で大きく刺さる、です!よろしくお願いします🏃!!!(大声)

⚠️性的、グロな表現あります⚠️

【阿部定の人生】

⚪︎子ども時代⚪︎

 1905年5月28日、畳屋「相模屋」に四女として生まれます。(4人兄弟の末っ子、長女は生まれてすぐ死亡のため。)畳屋は江戸から四代続く老舗で職人が常に5-6人いる繁盛店、もちろん家庭は裕福でした。父は昔気質の職人で、母は派手好きの甘やかし。兄弟の中でも器量の良かった定は小学2年生の頃から毎日違う着物で着飾り大人のように髪を結い習い事に通わせてもらっていました。
 なので、子どもの定は…勉強嫌い・わがまま放題(欲しいもが手に入らないと納得のいかない!)・人使いが荒い・度胸がある・見た目から近所でも目立った存在、と言った具合。
 友達の人形が気に入り離さなくなり母がその場に新しい人形を買って来させてよこしても手放そうとせず、最終的には友達に新しい人形をやり治めたり、自分が勉強できないからと勉強のできる同級生の恋人を横取りしたり。友だちの母が「あれを取れ、これを取れ」と言い使われ、定の母が注意するのを待ったが「定はおませだね」というだけで注意しなかったのには困ったという話もあります。
 やりたい放題やっては父親に家の柱に縛られたりと折檻をくらっていましたが、定には響いておらず紐を切り家から抜け出して「いい気味ね」と笑ったと当時の友人談。

⚪︎15歳⚪︎

 当時、相模屋は後継問題で荒れていました。子どもに見せまいとあまり家にいないよう仕向けられていた定。友人福田ナミ子の家にいる時間が長くなりました。
「そこに遊びにきた福田さんの兄さんの友達、桜井健という慶應の学生と知り合いました。私は割合ませていたので懇意になり、二人が二階でふざけているうち、その学生に関係されてしまいました。」
 15歳の夏、処女を喪失し出血が2日止まらなかったので母に相談します。母と相手と話をつけようと動きますが、泣き寝入りの結果に。定はこれを「自分はもう処女ではないと思うと、(略)どうしたらよいのかと思い詰め、とても焼糞になってしまいました。」と振り返っています。
 このころ定をからかってきた不良と一緒に出かけるような関係になります。定は家の金を持ち出しては不良に奢り小遣いをやり、それでちやほやされるのを楽しみ、浅草での夜遊びは毎晩になりました。

⚪︎16歳⚪︎

 姉の縁談話がうまくいくまで、定に大人しくしていてほしいからと座敷に奉公に出されます。が、奔放な生活から座敷の生活に馴染めるわけもありません。浅草で遊んだのが忘れられず、お嬢さんの支度を無断で身につけ出かけます。警察での取り調べとなりました。(人生初の警察のお世話になった案件)

⚪︎17-18歳⚪︎

 相模屋の相続問題で揉めていた兄夫婦が店の金を持って家を出てしまいます。先のことを考えて両親は店をたたんで家を売り、東京神田から埼玉坂戸に引っ越します。田舎暮らしで退屈した定は近所の男と懇意になり関係しました。田舎で目立った定に怒った父は「そんなに男好きなら娼妓に売る」と言い、宥める母や姉の言うことも聞かず、三日泣いて謝った定を許さず、本当に売り飛ばします。横浜市にいた遠縁の男、秋葉正義のところ。年齢が達していなかったので娼妓ではなく芸妓になりました。秋葉とは、関係を結び秋葉は定のヒモになります。(このあと4年くらい続く関係!)
 実は父、男相手の仕事をさせれば嫌になって謝ってくるに違いないからその時は迎えに行くつもりだった、そうです。

⚪︎在籍と源氏名⚪︎

 どうせ親に捨てられた身だからと、働くことより遊ぶことを考えて各地を転々とするようになりました。
 列挙しまーす。長いです、覚悟!(私は在籍の店名や源氏名をどんな筆跡で看板や紙に書いていたのか想像してなんとも言えぬ興奮を覚えた。)

①横浜「春新美濃」みやこ(芸者):18歳。大した芸もなく対して役に立たない
②神奈川「川茂中」?(芸者):火災にて借金ができ新しい店へ
③富山「平安楼」春子(芸者):19歳。前借り千円以上。芸者仲間の三味線やキセルをぬすみ警察沙汰(秋葉に渡す金のため)
⚪︎東京芝区で半年ほど稲葉と同棲
④信州「三河屋」静香(芸者):21歳。秋葉と縁を切るために借金。性病になり娼妓に転向する決意をする。
⑤大阪飛田「御園楼」園丸(娼妓):22歳。稲葉と縁を切る。水揚げのチャンスがあるが、他の客と折り合いが悪く無しに。
⑥名古屋「徳栄楼」貞子(娼妓):23歳。二年ほど働く。
⑦大阪松島「都楼」東(娼妓):前借り二千円。店のランク、客層が悪くなりすぐ嫌になる。東京に逃げるが連れ戻され⑧へ移籍。
⑧丹波「大正楼」かおる→育代(娼妓):26歳。劣悪店。半年で足抜けするが失敗し名を変え働く。客の金百円を盗んで資金にし神戸まで逃げる。
⑨神戸(カフェ)吉井信子(給仕):金に困り2週間で転職。
⑩神戸(高等淫売の客引きをする男の家)?(高等淫売):ピンハネがひどく三ヶ月で辞める。
⑪大阪「-」?(淫売)
⑫大阪「-」?(妾):一年で三人の妾となる。旦那が来ぬ間に淫売当時の客と会う生活。暇に任せて賭博で警察に検挙される。
⑬大阪住吉:妾を止めアパート暮らし。
⑭実家:28歳。親孝行。
⑮大阪:男が3人探しにきたため実家に居られずアパート暮らし。
⑯実家:29歳。母の死のため二週間の帰省。
⑰東京三ノ輪→日本橋「ー」吉井昌子(高等淫売→37歳の中川朝次郎の妾):29歳。
⑱実家:父の看病、看取りのため。一ヶ月弱。
⑲東京「ー」吉井昌子(中川の妾):30歳。中川が病気になり定から一方的に別れる。
⑳横浜「山田」?(淫売)
㉑横浜?「ー」?(笠原喜之助の妾):笠原が嫌いだったので別れるため移居。
㉒名古屋「寿」田中加代(料理屋の女中):31歳。名古屋市議会議員の大宮五郎と出会う。定から誘い関係する、妾になる。大宮と外出したきり戻らない。
㉓名古屋「福住」田中加代(料理屋の女中):名古屋が飽きたため大宮に嘘をつき移居。(一瞬、秋葉のところに寄り道。笠原に結婚詐欺を訴えられ警察が来てしまい、移動。)
㉔東京「ー」本名・田中加代/源氏名・田中きみ(淫売):大宮を含む男関係でゴタつき淫売を辞める。
㉕名古屋「清駒館」黒川加代(旅館の女中):31歳。
㉖東京中野「吉田屋」田中加代(割烹の女中):大宮の紹介で働き始める。店主、石田吉蔵。

⚪︎大宮五郎⚪︎

 定は、大宮に出会った瞬間「立派な人」と惚れて関係を迫りました。㉔後、大宮は「色々の話を聞いたが、お前は淫売しても人の亭主を取っても驚かない、初めから良い事をしている女でないと思っているが、なんとか救ってやりたいのだから、是非真面目になれ、俺は名前こそ話さないがお前の将来は必ず引き受けてやる」と夜通し話しています。これをきっかけに定は真面目になろうと決心し、禁煙までしたほどでした。そして、堅気の仕事につきます。

⚪︎石田吉蔵⚪︎

 定は石田を初めて見た時「様子が良い優しそうな人」と思いました。ここから石田にちょっかいをかけられて定が石田を好きになってしまいます。石田ってモテ男の遊び人だったんですね。石田は出会って一ヶ月弱で仕事中に耳を噛んで尻を触ってきますから、相当なたらしです。定もまんざらでもなかったご様子。そして、出会って二ヶ月半、二人は不倫関係となりました。職場で関係する、と言う日々。

 吉田屋に勤めてから、石田と不倫関係になりながら大宮のことを考え遠出の準備をしていたものの、女心に疎い大宮と会わない間に石田に夢中になってしまうのでした。

【阿部定事件】


 有名ですが概要は「女中の阿部定が不倫関係にあった店主を殺害し局部を切り取った事件」です。昭和の日本でセンセーショナルに報じられた事件、世情が暗かったからこそ定の狂愛は人々の奇異の目に晒されました。新聞に載った写真もカメラが珍しい時代に「せっかくだから(?)笑って」と言われて撮られた笑顔だったと言う話もあります。
 さ、上記「⚪︎石田吉蔵⚪︎」の続き、事件の話をしましょうか!だいたい三ヶ月半くらいのことを喋りますから、日付細かく入れて参ります!あと本人の証言も引用しますので、定の声を聞いてみましょう💪

1936年のこと。
2/1 吉田屋で奉公開始。店主石田と出会う。半月ほどで石田が気のあるそぶりを見せる。廊下で通せんぼとかしてくる。
2/27 暇をもらった理由を嫉妬を絡めて問われ、職場で耳噛まれる。翌日から前戯のみの関係に。
4月半ば 職場で関係する。仕事で離れに酒を持って行くと、石田が客として飲んでおり、その席で。

初めて情交しましたが、そのときはただ入れてもらっただけで、ゆっくりできませんでした。

第四回予審訊問調書

4/23-27 二人の関係が家人に知れたので外で相談することに。(定の中ではまだ大宮が本命で旅行の準備をしているところだった。)二人は渋谷の待合「みつわ」で会う。ここで二人が食事しながらした会話をのぞきみ。

(定)「あんなよちお内儀さんがあるくせに、私みたいなものを、どうしてそんなにまで思うのですか」
(石田)「オトクは色男をこしらえ、一年間も家出した女だが、子供が可愛いばかりに家に戻したのだ。いかに男が浮気でも、女房に男をこしらえたかと思うと、腹の中が煮えくりかえるようで、ほんとうの愛情は持てるものではない。俺は、じつは、お前がきたときから好きだった」
(定)「私だって、好きだわ」

第四回予審訊問調書

 石田とオトクは夫婦仲が悪かったんですね。石田は女遊びするし、オトクも不倫の過去がある。そのくせ、オトクは石田の悪口を日常的に言っていました。
 定はオトクと一緒になって悪口を言うこともなく石田に気に入られていました。そして、この会話で本気で関係が深まったと言えようね、ひゃーっ。石田、「今日は結婚式だから、一杯飲もう」と言って下げていた禁酒の札を定に渡し「あとで2人で成田様に謝りに行けばいい」など申す、とんでもない人たらし。読んでるこちらまで好きになりそうではないですか????

 「二人だけのとき旦那なんていうなよ」と言い、いろいろ甘い話をささやくので、私はすっかり石田にはまってしまいました。 

第四回予審訊問調書

4/27-29 待合「田川」にて。ひたすらに芸者、酒、枕。
4/30 金がつきそうなので定は大宮に会いに名古屋へ行く。(石田は待合で待つ。)大宮に適当な話を言い、金をもらう。
4/30-5/5 待合「まさき」にて。ひたすらの枕。

(石田は)「お前と一緒になれば、きっと俺は骸骨になる」と冗談を言っておりました。

第四回予審訊問調書

 それから五日の夕方まで、寝床を敷き放しにして、入浴もせず、情事のかぎりを尽くしておりました。
 私が自分の鋏で石田の爪を切ってやると、
 「お前の指を噛み切ってやりたい」
 などと言い、私が石田の陰毛を十本ぐらい鋏で切ったり、オチンコを掴んで切る真似をすると、
 「馬鹿なことをするな」
 と言いながらも、喜んで笑いました。
 石田は私がそのようにふざけると、いつもとても喜ぶのです。

第四回予審訊問調書

5/5 銀座で大宮に会い、金をもらう。食事をし、5/15に会う約束をする。
5/5-6 金が尽きそうなので一度別れるか、と話がまとまるが別れられず待合「関弥」へ。
5/7ー11 石田は吉田屋へ、定は秋葉(関係を切った後も細々定のヒモしてました。)のところへ。石田と別れてからの定はとにかく落ち着きませんでした。

 石田を帰してやるのではなかった、よく、すんなり帰してやったものだと、自分を自分で疑い、こんど会ったら、どんなことをしても帰すまいと思うほど、石田に執着した気持ちで、どうすることもできませんでした。

第五回予審訊問調書

 定は雑誌を読んだり、ビールを飲んだり、裁縫をしたり、何をしても手につかず、夜も眠れず石田のことを考えていました。

5/10 定は浅草に出かける。明治座で見た芝居に出刃包丁を使う場面があり、自分も石田にふざけてやろうと思いつきました。
5/11-18 石田と再会しに行く(約束はまだ)道中で牛刀を買う。旅館の番号を石田に知らせ、連絡を待つ。石田は5/14まで待てと言うが無理を通して当日中に会う。再会し、二人で待合「まさき」へ。

 とにかく、十一日の晩のことは、焦がれている男に百年ぶりに会ったような嬉しさで、とうていお話できないほどです。泣いたり、ふざけたり、夜通し寝ませんでした。

第五回予審訊問調書

 牛刀を石田のオチンコの根元につけて、他の女と何もできないように切ってしまう、というと、石田は笑いながら、「こいつ、馬鹿だな」と言って、喜んでおりました。

第五回予審訊問調書

 「まさき」での二人の日々はひたすらに枕。夜もろくに寝ず、風呂にもあまり入らない。会わない間に募らせた嫉妬と会えた嬉しさで、定は石田をいじめたり可愛がったり、無茶苦茶にしました。
5/15 大宮と会い、金をもらう。石田は帰還した定に焼くようなふりをしてふざけてきます。
5/16 この夜、腰紐を用いた窒息プレイに至る。数日前からふざけていじめあっていた二人。定が首を絞めたあと、石田も定の首を絞めますが「かわいそう」と言いやめてしまいます。もともと、定が上になって行為することが多かったり、定は積極的だったことが伺えますから、定が石田の呼吸を握るのは自然な流れだったかも知れません!し、石田は性欲すごい上に受け身力も強くて「君がいいならいいよ」スタイルなので…むしろされる方が嬉しいタイプだったんだと思います🤔!(と、定の喋っていることを聞く分には思いました)

 十六日の晩、石田に抱かれていると、とても可愛くなり、どうしようか判らなくなり、咬んだり、息が止まるほど抱きしめて関係することを思いつき、
「こんどは紐で締めるわよ」
 と言って、枕もとにあった私の腰紐をとり、石田の首に巻きつけて、両手で紐の端を持ち、石田の上になって情交しながら、首を絞めたり、緩めたりしていました。

第五回予審訊問調書

 その晩、2時間ほど首を絞めながら行為するのですが最中に定が締めすぎてしまいます。定は石田が可愛すぎてつい、予定よりも締めてしまったのです。石田の痛みと顔の赤みが引かなかったので薬局へ行きます。ただのうっ血でしょうと言われ、気休め程度にカルモチン(睡眠導入作用のある薬)と目薬を買い帰還します。
 薬局で3錠以上は飲ませたらいけないと言われたカルモチン、定は何回かに分けて30錠飲ませます。睡眠薬を飲んで石田は眠ってしまいます。
 (以下、証言ほぼノーカットで)

「少し眠いから、眠るよ。お前は起きていて、俺の顔を見ていてくれ」
 と言いますから、私は、
 「見ていてあげるから、ゆっくり寝なさい」
 そう言い、上半身を起こして石田の顔の上に頬を擦り付けていると、石田はウトウトしておりました。
 五月七日以来、別れている間ずっと辛い思いばかりして、石田を殺してしまおうかしらという考えが出ましたが、すぐ他の気持ちに打ち消されました。
 石田の寝顔を見ているうち、石田が家へ帰れば自分が介抱した様にお内儀さんが介抱するに決まっているし、今度別れれば、どうせ一ヶ月も二ヶ月も会えないのだ。この間でさえ辛かったのだから、とても我慢出来る者ではないと思い、どうしても石田を帰したくありませんでした。

第五回予審訊問調書

 石田がウトウトしているとき、私は南枕に寝ている石田の右側になり、石田の右手は私の脇の下から背中の方へ伸びて、私を抱える様な格好になっており、私は左の手で石田の頭のほうを抱える様な格好をし、左手を左肩の辺におき、寝顔を見守っていると、石田は時々パッと目を開き、私がいるのを見て安心して、また目を閉じる様にしていおりました。
 「お加代、お前、俺が寝たらまた締めるのだろうな」と言い、私は「うん」とニヤリとすると、
 「締めるなら途中で手を離すなよ。後がとても苦しいから」
 と言い、そのとき、私はこの人は自分に殺されるのを望んでいるのか知らと、ふと、思いましたが、そんなはずのないことはいろいろのことから判り切ったことですから、勿論、冗談だとすぐ思い直しました。
 そのうち石田が寝た様子ですから、右手を伸ばして枕元にあった私の桃色の腰紐を取り上げて、紐の端を左手で頸の下に差し込み、頸に二巻き巻いてから、紐の両端を握り、少し加減して締めたところ、石田がパッと目を開けて
 「お加代」
 と言いながら少し身体を上げ、私に抱きつくようにしましたから、私は石田の胸に顔をすりつけて
 「勘弁して」
 と、泣き、紐の両端を力一杯引き締めました。
 「ウーン」
 石田は一度うなり、両手をブルブル震わせて、やがてグッタリしてしまったので、紐を離しました。

第五回予審訊問調書

5/18 午前二時のことでした。石田を殺した定は「すっかり安心して朗らか」な気持ちがしたそうです。

死骸の側にいる様な気はせず、石田が生きている時より可愛らしいような気持ちで朝方まで一緒に寝ており、オチンチンを弄ったり、ちょっと自分の前に当てて見たりしておりましたが、その間、いろいろの事を考えているうちに、石田は死んでしまったのだな。これからどうなるだろう。石田を殺しては自分も死ななければしょうがない、など考えたり

第五回予審訊問調書

 石田のオチンコを弄っているうち、切って持って行こうと思い、額の裏に隠して置いた牛刀を出して根元に牛刀を当てて切って見ましたが、すぐは切れず、かなり時間がかかりました。その時、牛刀が滑って、腿の辺にも創を付けました。それから睾丸を切り取るため、また嚢の元に牛刀を当てて切りましたが、なかなか切れず、嚢が少し残ったように思います。
 塵紙を拡げて切り取ったオチンコや睾丸をその上におきましたが、切り口から沢山血が出るので、塵紙で押えており、それから切口から出る血を左の人差し指につけて自分の着ていた長襦袢と袖と襟に塗付け、なお石田の左腿にその血で「定、吉、二人」と書き、敷布にも書きました。

第五回予審訊問調書

 そして、石田の左腕に牛刀で「定」と彫り、石田の六尺褌(腹に巻きつけてお腹のところに肌につけて紙包みを入れた)、シャツ、ズボンを着た上に自分の支度をしました。トイレに遺留物を流し証拠隠滅をはかり、待合をあとにしました。

 定は逮捕までの三日間、自死するか否かを悩みながら転々とします。大宮には自分のせいで迷惑がかかるのではないかと、謝罪に出かけました。

 自死する決心がつかずに、支度を変えたりしながら彷徨う定でしたが、浅草の松竹座で「お夏清十郎」という映画を見ます。定が見たのはこの「お夏清十郎」!私も同じ映画を見たいんですけど…。話によると戦時中の火災でフィルムはないらしいです。悲しい。どうやらこの犬塚版はオリジナル要素強いっぽくて…えぇん。犬塚版、下記のような感じのあらすじ、らしいです。

舞台は姫路の旅館「但馬屋」
但馬屋手代清十郎
但馬屋手代与茂七  但馬屋の相続候補
但馬屋の妹娘お夏 気性の荒い性格
但馬屋九右衛門 主人
 与茂七はお夏に思いを寄せている。九右衛門は大阪の紙問屋多田屋の息子に輿入れさせようと考え、表向きは観劇の名目で大阪に行かせ、お夏と多田屋息子の見合いをさせようとする。そのお供を命じられたのが清十郎であった。お夏は九右衛門の策略を察して大激怒。しかし、但馬屋は経営困難な窮地にあり、多田屋の支援が必要であった。九右衛門は妹を差し出してでも店を守りたかったから、与茂七には店を継がせると言ってお夏を諦めさせようとした。
 与茂七は清十郎の名を語ってお夏を夜の船に呼び出した、駆け落ちを迫る。お夏は与茂七のことを好いておらず断るが、与茂七は店の金を盗んできており駆け落ちが失敗すれば心中も厭わぬ覚悟であった。さてここに清十郎が駆けつける。男二人は揉み合ううちに、与茂七は入水し死んでしまう。
 二人は与茂七の盗んだ金で駆け落ちすることを決意。二人が逃げたのはかつて店で奉公していた男のところで、すぐに居場所が割れてしまう。清十郎は殺人・窃盗の罪で処される。お夏はしばらく但馬屋で清十郎の死を知らずに過ごすが、子どもの歌う「清十郎殺さばお夏も殺せ」を聞き清十郎の死を知り発狂。
 ラストシーンで、お夏の下駄が川に流れてゆく。

 映画を見た後で、大阪に逃げようと思うが自分の記事が出ていることを知り、東京で自死する決心をします。自死するつもりで入った「品川館」と言う旅館で遺書を書いてビールを飲んで寝ているところで警察が来ます。
 「阿部定は、私です。」

【予審訊問調書と歌詞】

 おまたせ!やっと歌詞の話するよ!まず、阿部定の予審訊問は第八回まであります。(予審は裁判の事前の取り調べみたいなもの。以下、引用する言葉の前に①〜⑧で示す。)びっくりするほど定の記憶力がいいことと、彼女の喋る言葉が入ってきやすかったことが印象的でした。地頭がいいんだなあ。

唐紅の 彼岸花
簪にして

⚪︎彼岸花の花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」「悲しい思い出」「想うはあなたひとり」「また会う日を楽しみに」
⑤ 塵紙を拡げて切り取ったオチンコや睾丸をその上におきましたが、切り口から沢山血が出るので、塵紙で押えており、それから切口から出る血を左の人差し指につけて自分の着ていた長襦袢と袖と襟に塗付け、なお石田の左腿にその血で「定、吉、二人」と書き、敷布にも書きました。

 唐紅=血、彼岸花=死だとしたら、誰の死なの?誰を偲んでんの?って話になるよね。
 石田死後説。石田、「過去」として身につけられてる。(もしや彼岸花が切り取ったものの暗喩だったりする…?唐紅色て…事件直後なの?)で、「情熱」と「諦め」を秘めとる。まあ、定がのちのち何年も石田の命日に花を送っていることから、定が何年後かに振り返っているという説もあるよね。
 定の死説。15歳の夏の自分を思って毎年夏になると彼岸花を身につけていた、という話を勝手に妄想した。大量出血のあの事件で少女の定は死んだわけで、やけくそになったのですからね…ッ。あの時の男性に対するヘイトが彼女の人生を大きく呪ってる(?)感じがする。
 それを知ってか知らぬか、石田がかけてくる言葉が以下ですよ。

風流だねと 笑う男

⑤(被告はなぜ、石田をかようにまで恋慕愛着したか?)どこが良かったかと言われても、ここと言って答えることはできませんが、石田は様子といい、態度といい、心持ちでけなすところ一つもなく、あれほどの色男は会ったことはありません。(略)気持ちはごく単純で、ちょっとしたことでもとても嬉しがり、感情家ですぐ態度に表し、赤ん坊のように無邪気で、私が何をしても喜んでおり、甘えておりました。
⑥石田だけは非点の打ちどころがなく、強いて云えば品がありませんが、却ってその粋なところを私が好いたので、全く身も心も惚れ込んでしまったのです。女として好きな男を好くのは当り前です。私の事は世間に判ったから可笑く騒がれるのですが、女が男のものを酷く好く様子をするのは世間にざらにあると思います。


 風流だねって…石田…あんたぁ…!!石田の数々の色男な場面を見てから聞くと、なんと魅力的に聞こえることか。定が年上の石田を繰り返し「かわいい」と言って好いているところから見ても、(わたし特攻の効いた)相当な沼が見えますよね、危ない。年上の可愛い男、食べちゃいたい。
 定の言う通り、当たり前に好きになっちゃう相手であります…。

今宵限りの 艶姿

 「今宵限り」っていつ…?石田と出かけるとき?つまり、芝居「田中加代という女」の終幕…限り……?(「芝居」については後述)

いとしいよ いとしいよ ああ いとしいよ

あんまり可愛くて、気が詰まるほど石田をギュッと抱きながら、「誰ともよいことをしないように、殺しちまおうかしら」と言うと、「お前のためなら死んでやるよ」と答えた

 定ちゃん、石田のことを「可愛すぎて好き!」って何回も言ってんだよな。可愛さ由来の愛おしさってまじで沼、本当に定と握手がしたいです。「いとしい」「くやしい」「せつない」の中で圧倒的共感が「いとしい」にあると思っていまして。初手で「いとしい」の共感に引き込むのずるいよね。

誰にも触らす もんかいな
命を手放す もんかいな

①(どうして吉蔵を殺す気になったか。)私はあの人が好きで堪らず、自分で独占したいと思い詰めた末、あの人は私と夫婦でないから、あの人が生きていれば外の女に触れることになるでしょう。殺してしまえば、外の女が指一本触れなくなりますから、殺してしまったのです。
⑤私から、いっそ心中してくれとか、どこかへ逃げてくれと言ったところで、待合を出して末長く楽しもうと言っていたし、石田としては現在出世したのだから、今の立場で死ぬとか、駆け落ちするとかは考えられません。
 私の言うことを断ることは判り切っているので、私としては心中や駆け落ちはてんで問題にしていませんでしたから、結局、石田を殺して、永遠に自分のものにする外ない、と決心したわけです。
⑤(何故石田の陰茎や陰嚢を切取って持出したか。)それは一番可愛い大事なものだから、そのままにして置けば、湯棺でもする時、お内儀さんが触るに違いがないから、誰にも触らせたくないのと、どうせ石田の死骸をそこに置いて逃げなければなりませぬが、石田のオチンチンがあれば、石田と一緒の様な気がして淋しくないと思ったからです。
 何故、石田の腿や敷布に「定、吉、二人」と書いたかと云いますと、石田を殺してしまうと、これですっかり石田は完全に自分のものだという意味で人に知らせたい様な気がして、私の名前と石田の名前とを1字づつ取って定、吉、二人キリと書いたのです。
⑤(石田の左腕に、何故「定」と刻り付けたか。)石田の身体に私を付けて行って貰いたかったために自分の名を彫りつけたのです。
⑤(何故、石田の褌や下着を肌に着けて出たのか。)その褌や下着は男の臭がして石田臭いから、石田の形見に自分の身体に着けて出たのです。

 二人だけの永遠を手に入れたかったなら心中すれば良かったのに、どうして定はそれを選ばなかったのか、と言う議題、永遠。石田に断られるのが分かっているから、話を持ちかけなかった、と言いますが石田を殺した場で自死すれば心中は成り立ちましたよね…?
 定の手放したくなかった命って誰の命でしょうか。結局、自分の命も諦めずに人の命を奪っているから、どちらもなのでしょうが…。
 完全に自分のものにしてしまったことで、石田はいなくなってしまったわけで、自死しなかったことで石田の1番可愛い部分は警察に押収されてしまったわけで。定の望みって叶ったんでしょうかね?(と、冷静になれないのが石田との恋の怖さだとは思います、もちろん。)だから、私はこの事件の予審で語っている理由よりも、人生単位の動機があるのではって思っているわけだけど、それすら叶っていないような気がして虚しいよね。それでも言葉の上では完全に自分のものにしたと満足したようなことを言っているのが、また、何だか、強がりに感じる。欲しいものは何としてでも手に入れないと気が済まない子どもの頃から変わらない性格で、石田を殺した定ちゃんは根底は子どもの気持ちのままだよなって。子どもの時の「お定ちゃん」手に入れられるもの以外にほしいものがたくさんあったんだろうなあ。
 定のことをいろいろ読んだ後だと、この2行に込められた定の執着えぐいなと思うのです、この曲の心臓。
 あと、自分のことを内の女だって自負しているところが定すぎる。法律上、君が外の女なのだよ、っていう意地悪を言いたくなるよね。

惚れたが悪いか どんな罪

浮気の恋は 涼しくて

①石田は始終「家庭は家庭、お前はお前だ。家庭には子供が2人もあるのだし、俺は年も年だから、今更お前と駈落する訳にも行かない。お前にはどんな貧乏たらしい家でも持たせて、待合でも開かせ末永く楽しもう」と云っておりました。しかし、私はそんな生温いことでは我慢出来なかったのです。

 定は石田が提案したように関係を続けることは「生温かい」と言っていますが、歌詞では「涼しい」なんだよね。現時点では涼しいし、未来を見てもどうせ生温かいだけだって言う、浮気の芯のない愛みたいなものを感じました。いい。

真の愛は
幸せよりも 燃え上がり

④ 夜も殆んど寝ずに猥褻の限りを尽して遊び暮しましたが、私がとても疲れたと言うと、石田は私と情交してはそのまま居眠りしながらも私の身体を擦ってくれるという親切振りで、全く私は生れて初めて女を大切にし喜ばしてくれる男に出会ったと思い、惚々し、益々離れられなくなりました
④私は今度石田が帰宅しても、お内儀さんにいいところを遣らせまいと思ったので、石田と関係し続けて2度も気を遣らせました。


 出会って三ヶ月半、流連して三週間。燃え上がる、という表現のままの関係だよな〜〜〜。ずっと行為しとるのも「幸せ」というより「燃えてる」状態、と言う感じする。

ふたり堕ちてく 闇の中

⑤その間(最後の流連の間)2人の情事は、以前待合を泊り歩いた時より猛烈で、夜もろくろく寝ず、殆ど入浴もしませんでした。

 付け焼き刃にお金を作って二人で過ごしてるのよね。現状から逃げているだけだなーーー。

くやしいよ くやしいよ ああ くやしいよ

④ちょうどその晩はしとしと雨が降っているところへ、辛さを忍んで一時別れ様という相談ですから、私は石田をお内儀さんのところへ帰らすのかと思うと口惜しいやら悲しいやらで、泣けて仕方なく、石田も泣き、実に恋の愁嘆場でした。
⑤ (石田と別れていた三日間、)夜寝てからも、石田の事ばかり考えて寝付かれず、一層中野へ行って見て遣ろうかしら、畜生と、焼餅が焼けてなりませんでした
⑤ (石田と別れていた三日間、)夜中になるほど癪に触って来て、気がいらいらするので、階下へ下り、自分の襦袢を縫っておりました。お裁縫しながらも石田の事ばかり考え、妾になんかなって半分半分の生活をしても詰まらないから、夫婦になるより仕方がない、石田と夫婦になるには他所へ逃げるより方法はないが、石田は逃げる人でもなしなど考えると、一層石田を殺してしまうかとまで思いましたが、嫉妬から左様な色々な事を思うので、結局とりとめのない考えでした。
⑤ 三日ばかり別れていた間、石田がお内儀さんにしてやった事を想像して焼けてならず、嬉しいとか憎いとかが一緒になって、石田を可愛がったり虐めたり目茶目茶でした。

 定の言葉を聞くと、悔しい、と言うより、焼けて頭にきた、と言う思いなのかなと思いました。例によって、頭にきた先に悔しいがあるのかなとは思うのですが…。

しらじら夜明けが 幕を引く
芝居は跳ねたと 幕を引く

 「芝居」ってなに、どの芝居なの…!定が明治座で見た牛刀を買うきっかけになった芝居なのか、お夏清十郎なのか。もしくは、田中加代という女、なのか。(これに関しては清水正氏の指摘を元に。)
 既出の作品ベースで言うと、定が見たと言われる犬塚版のお夏清十郎はあまりに定にリンクしている。事実は小説よりも奇なり、よくできておる。お夏はこの作品で心中を「匂わせている」ラストシーンで幕引きしています。定も自死しようかな、と言う「匂わせ」をしながら行動していたのです。(よっぽど死んだでしょうが)お夏は死んだか分からないし、定に至っては死んでないしっ。
 さて、私がえぐいなと思っているのはこっちの説でして。芝居「田中加代という女」が幕を引いたと捉える説。定は石田に「加代」と名乗って接していました、それは石田が死ぬ瞬間まで。そして、石田が「お加代…」と言って死んでから、「定吉2人キリ」、「定」と石田の体に残しているのです。つまり、石田が死んだ瞬間に加代の幕は降りて、定になったと言えますね?やば?????待って????定と吉(石田吉蔵)が隣り合って並ぶのはこの時の血文字をおいて他にないんですよ……ッ。ええんッ。
 ひいては、あれほどに偽名や源氏名を変えて生活してた阿部定自体が芝居めいた存在だったよね?という話もありますね?!ウワッ!!イイ!!

惚れたが悪いか 戻れない

 定は戻るというような半端なことを許さなそうですよね。戻らない、戻ってたまるかをぎりぎり抑えた「戻れない」という感じがしました。

鏡に映る 三日月は
やせ細り
人目を忍ぶ 道行は
袋小路で 往き止まり

 二人の道行を行き止まり、と。なるほど、二人の道行って「どこまでも行けるような気がする」行き止まりよな。人目を忍んでいる時点でどこにも行けないのではありますが。どこにでも行けるような気がするからと二人で歩き出したとて、そこから大して動くことも許されない、のが、二人の三週間のように思いました。

せつないよ せつないよ ああ せつないよ

⑥ (被告は今度の事件に付て現在どう考えているか。)警視庁にいる頃はまだ安心して嬉しい様な気持ちであり、石田の事を喋ることは嬉しかったし、夜になると石田の夢を見たいと思い、刑務所へ来た当座も、まだ石田の夢を見ると可愛い様な嬉しい様な気持ちがしておりましたが、一日一日と気持ちが変って来て、この頃はあんな事をしなければよかった、馬鹿馬鹿しい事をしたと後悔しております。
殊に殺さなかったらよかったが仕方がない、殺しても石田のものを取ったりシャツを着たりしなければよかったと思います。
石田と別れるのが淋しいので、石田のシャツを着たりオチンチンを切ったり気違い染みた事をしてしまったので、そんな事で世間から変態のように云われるのが口惜しう御座います。

 犯行後にしっかり後悔を述べてるんだよなあ。ウーン。殺して自分のものにして満足だの思うのは子どもの定で、死んでしまってもう会えないのは寂しいと思うのは大人の定?なの?そんなのって都合よくないすかね…。大衆に晒される予審でこの発言はどういうメンタルしてる??
 でも、ここで言う、せつないって石田を手にかけるしか決着しない二人の関係性かなあ。石田と駆け落ちか心中したいくらい好き!→石田には家庭や地位があって両案とも断られるだろうな→でも妾の関係とか生ぬるくて無理→殺すしかないわ、の思考を経た上での「せつないよ」。めっちゃ自分勝手よな〜。

あの世にさらえば よいかいな
すべてを棄てれば よいかいな

 ここのサァ!「よいかいな」を2回繰り返しているところが、「本気でそうするつもりのなさ」を感じさせるよなあ。
 「あの世にさらえば」→心中なんてするつもりはない上、自死もしなかった。
 「すべてを棄てれば」→初手からヤケクソの捨て鉢人生、もう本当に捨てるものなんてなかったのでは…?何を今更、捨てるのに躊躇うことがあるのかなって思ってしまうけれど。
 ってかこの時の定にとって石田がすべてだと捉えたら、これもまた捨てるつもりはないよね?

惚れたが悪いか このさだめ

惚れたが悪いか どんな罪

 「さだめ」!

【🦁の舞踊振り返り】

左から古い順です

 私が出会ったのは、2021/04/20 夜、2021/06/04 昼、2022/06/24 夜、2022/12/18 夜の4回!意外と少ない🙃!


 初期の初期で出会ってる…!記憶が流石に薄れている…笑
 でもなんか、3月、好みの女でかわいかった舞踊三選(?)には数えた、と思う。

 これは!覚えています!!赤の襦袢が印象深かった回!座ったところ、えぐい可愛さしてた…て好きだった……(1枚目)
 定ちゃん、ブツを切った後に出てくる血を自分の着ていた襦袢で拭いたんですよね…。この時の舞踊のシンボルは「唐紅の血液」だったんだあ、いいね。

 この回はね、赤い照明の中での微笑みと、絞られた照明の中での死に顔(?)が、ド好みでしたことを記憶しています。「わーん!この人の女形の死にそうな顔が好きすぎる!!!」となってこっちが死んだ回。
 定ちゃん、他人に何をされても大して響いてなくて、余裕で笑ってるような女なのよなあ。この時もそれ的な微笑みしているね…、すげえ。
 その上で、不幸な死に顔を見ると、本気で死ぬ気はなかったうらはらさ、と同時に、石田のことを死ぬほど好きだという気持ち、を感じます。
 あと、定は犯行後に石田の褌と下着を「石田くさいから」と身につけています。それを…?噛んで……🫨?
 脱線するんですが、この6月は死に顔コレクションしてきゃっきゃしていました。白状。

 この回!やばかった!!なぜなら、「惚れたが悪いかのモデルは阿部定」という知識があったからです。いいこと教えてくれてまじ感謝🙌!まあとは言え、この時点では「いいところの娘が売られて人生堕ちた。好きな男を絞殺して陰部を切り、二人の名前を彫った。」くらいの知識しかありませんでした。
 初見で髪飾りを見て「この阿部定は絞めずに突くような短気なところがあったかもしれない……?いや??待て?このかんざしで彫り物した…??え……?」という変な刺さり方をして喜んでいました。どちゃ沸きした。すごく酒が回った記憶があります笑
 あと、もともとがお嬢様というプライドのある艶姿だね。華やかな着物がかわいい。

 近くで見たときも定すぎる…と、やや恐怖した記憶。

【最後に】

 阿部定という女が突き通したものは間違いなく深い愛なのだけど、殺すという(法的、倫理的に)間違えた方法をとってしまった。他人を愛したことのある誰しもが、もしかしたら自分も恋に惑わされてそうなってしまうのではないか、という恐怖を感じるからこそ、彼女に惹かれますよね。しかも、私ってほら、定が事件を起こした年にぼちぼち近い未来になるものですからァッッ。もし、狂おしいほど好きな相手に出会ってしまったら、やり得てしまうよなあという共感による余計な恐怖を感じて気持ちが良かったです。これってまさか…快楽かもしれない(?)
 定の言葉を借りるなら「男に惚れた余り今度の私がやった程度の事を思う女は世間にあるに違いないのですが、ただしないだけのものだと思います。」です。はあ、好きなものに好きと言って、愛しているものに愛していると表現して、その素直さがかわいいなあ。まあ切り取ったらダメだけど!

 お夏清十郎と失楽園も履修しないとね!では!!


【参考文献】

清水正(1999年)『阿部定を読む』現代書館
伊佐千尋(2005年)『阿部定事件 愛と性の果てに』新風舎

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